Twitter やめてみる、という記事を書いてからいつのまにか 2 ヶ月以上経っていた。
この 2 ヶ月で自分にはとても大きな変化が起きた。このような変化はまだ自分に閉じたもので、その変化は誰にも気づかれていないと思う(自分が誰にも言っていないため)。
この記事の目的は、SNS から距離をとったこの 2 ヶ月間で起きた自分の変化についてまとめることだ。このブログは Diary over Finite Fields と言う名の通り、いつもいつでも、公開される記事は筆者(515hikaru)の日記でしかない。主役が僕の、僕の主観での物語でしかない。それは今までも、そしてこれからも変わらない。
ただ去年の僕のように、見たくもないものをひたすら見て、ただ消耗するだけの時間を過ごしている人や、毎日が全く味気なくて先月のことも思い出せないなんて人の参考になればとても嬉しいと思いながらこの記事を公開している。
ちなみに、キリよく 3 ヶ月経ったときにまとめればいいんじゃないかとも思ったのだけど、最近 1 日が長くて長くて 1 ヶ月先とかとても待ってられないのでさっさと書くことにする。
前提
まずは 2020 年 11 月中旬以前の僕——すごく、すごく遠い昔のように感じる——を振り返る。
自分はいわゆるツイ廃だった(もう死語だろうか)。Twitter を毎日、1 秒でも時間があれば見ていた。仕事の合間、食後のひととき、コンビニのレジ待ち、ありとあらゆる時間を Twitter にあてていた。
自分はいわゆるソシャゲの類をやったことがないのだが、自分にとって Twitter はそれに類するものだったのかもしれない。毎日ログインしてツイートして Like や RT をされるゲームであり、タチの悪いことにそれが自分にとって承認だった。ゲームに毎日没頭していて、当時はそれで良いのだと、中毒のまま自分は死んでいくのだとさえ思っていたと思う。そんな生活をしていて SNS をあまりやらなくなる将来なんて一切考えられなかった。
SNS 以外だと、自分はこんな感じの生活をしていた。
- いつ寝るのか不定、いつ起きるのかも不定で生活リズムが乱れっぱなし
- SNSやメールなどに気を散らしっぱなしで、目の前のことでいつも精一杯
- いつかやろうとしていることが溜まりっぱなしで何一つとして進まない
- 毎日忙しく過ごしているはずなのに、何も進んでいる気がしない
- ありとあらゆることについてやる前からできないって諦めている
正直なところ、昨年どんな暮らしをしていたか よく思い出せない。それはコロナ禍だからではない。その証拠に、一昨年のことも僕はよく思い出せない。何年の間になるだろうか、毎日、毎日、同じような日々をただひたすらに繰り返していた。大学院を休学しても、仕事を始めても、転職をしてもそれは全然変わらなかった。2 回転職してわかったのは、所属会社を変えたくらいでは人生は何も変わらないということだ。
距離をとるための施策
さて、結論として Twitter もその他の SNS も結局やめてはいない(アカウントは残っているし主に土日にはツイートをしてさえいる)。ただ、距離をとった。今は自分の意思で「やろう」と思った時だけ SNS を開くようにしている。コンビニのレジ待ちでスマートフォンを見ていた自分はどっかへ行って、今はレジ待ちでは考え事をしている。
この状態に至るには、2 ヶ月前にやめようと決意したときにとった施策が功を奏したと思う。いくつか紹介する。
Twitter へのアクセスを不便にした
デフォルトですぐにアクセスできるからアクセスしてしまうので、アクセスをするためにステップを挟むことにした。
まず iOS のネイティブアプリを削除した。そして Twitter アプリが置かれていた場所に Slack を置くようにした。これで Twitter を見たい、と思って開いても実際にみるのは Slack という循環を作ることに成功した。が、Slack を読むのも時間を食うので天気予報アプリとか、最近やっている脳トレアプリとかを置いてある。
ブラウザでアクセスはできるがブックマークなどからは削除し、自分で URL を叩いたり検索をしたりしないと Twitter にアクセスできないようにしている*1。また、「今日はこれで終わり」と思ったらログアウトするようにしている。1password を使っているのでログインにかかる手間はすごく少ないのだが、意外とログイン画面が開かれるだけで「やっぱり今は Twitter 見るのやめとこう」となるものだと知った。
Twitter の代替を用意した
より正確には「ツイートくらい敷居低くネット上に発信できる Twitter ではない場所を作った」が正しい。禁煙を始めた人がタバコの代わりにタバコではないものを咥えるのと同じで、自分は中毒なのだからいきなり完全に絶つのではなく、Twitter よりも中毒性が低い場所を作った。
自分の場合はツイートを読む時間よりもツイートを書いている時間を使いすぎている感覚があったので、ここなら自由に発信して良いと言う場所を決めた。今回は Scrapbox が採用された。
最近 Scrapbox の更新頻度が落ちているのは、禁煙に例えれば棒をくわえる頻度が下がったのと同じで好ましい傾向だと思っている。
そのほかの SNS も同様にちょっと不便にする
Twitter を見なくなったら他の SNS へのアクセスが増えるのは容易に想像がついた。もちろん最終的にはそれらとも距離を取るつもりだったが、あえて最初のうちは野放しにして、見たいだけみていた。Scrapbox 同様ガス抜きを意図しての施策だった。
そして、Facebook/Instagram/Google Discover/はてなブックマーク などそのほか SNS やニュースフィードにアクセスすることが増えたのを自覚したあと、Twitter と同様にこれらも不便にした。Facebook/Instagram はアプリをホーム画面から削除*2し、Google Discover は機能ごとオフに設定した。はてなブックマークもアプリごとアンインストールした。
今自分が読んでいるフィードは Inoreader のフィードだけだ。RSS リーダーのフィードは自分が設定したものしか流れてこない、下手にリコメンドとかしてこないから平和でいい。
紙の本を読む、Podcast を聴く
そもそもディスプレイを見ているからありとあらゆる誘惑があるのである、ということで主たる娯楽として紙の本や Podcast を採用することにした。紙の本の誌面上には誘惑は全くないし、Podcast は一度流し始めればディスプレイを見ていなくても聴いていられる。電子書籍のビジネスモデルに賛同できなくてほとんどの本を紙の本として持っているし、大学受験のときにラジオを聴く習慣があったので Podcast を聴くのもハードルはとても低かった*3。
また、副産物として娯楽を自分の意思で「今日はここまで」と制御しやすくなった。動画だとやっぱりキリがいいところまで見たくなるし、SNS やゲームもハマっているとやめどきがない。それらに比べると読書やラジオは一時停止、割り込みが入った時の制御をしやすくていいと思う。
施策の結果
これらの施策の結果得られた変化がいくつもある。
まず真っ先に変化があったのは夜寝るようになったことだ。ツイッターをやめると決意した夜から、夜に眠気を感じるようになった。というか夜にすることなんて何もないということがわかった。早く寝るので、早く起きる。それが続いている。
また、昨年の8月ごろから筋トレをやっていたのだが、この生活習慣の変化により運動は朝にやることが定着した。詳細は先日の記事を参照。
毎日気を散らせて、毎日何をしたのかわからない。いつかやろうとしていることがたまりっぱなしで減らない、忙しく過ごしているのに何も進まない。そんな日々からも脱却して、最近は充実して夜眠れるようになっている。
これは SNS と距離をとったのに加えて、さらに別の施策をとったおかげである。それらについては僕が書くよりも『時間術大全』という本を参照して欲しい。この本の用語を借りると、毎日にハイライトを設定して、自分のやりたいことにフォーカスした一日を過ごせるようになった。
最後に、ありとあらゆること——特に仕事以外のことについて——できっこないと諦めがちだったのが、ひとまずやってみてから考えようという風に頭を変えられるようになってきた。例えば英語の勉強を始めたり、仕事のやり方を変えたり、自炊をし始めたりといった変化が起きている。このご時世もあって人とコミュニケーションを取る機会も少ないので、自分の中の変化ばかりで、人との関わりに関する変化は起こせていない。それでも少しずつ、自分がポジティブになっているのを感じる。
SNS と距離をとるということの意味
さて、SNS と距離をとったことは、自分にとってはいいことづくめだった。だけど他の誰にとっても同じような効果があるとは思っていない。
先にも言ったように自分は SNS 中毒だった。そして同時に SNS は、というより Twitter は過去の自分を象徴するようなものであった。大学時代から現在にかけて僕が 515hikaru を名乗るきっかけになったものでさえある。そう言語化したことはないが、Twitter は自分の Identity であるとさえ内心思っていたのかもしれない。
しかし、同時に Twitter は枷でもあった。Twitter 中毒である限り、自分が変わることなんて考えられなかった。今までの7, 8 年分の自分の記録がたったひとつのアカウントに全て残っていて、515hikaru はその延長線上にしか居られなかった。
人間なんて変わって当たり前だ。だけど、自分にとってはこの Twitter アカウントが、そして過去の自分がすごく価値のあるもののように思えていた。意味がよくわからないと思うけれど(今の僕にもよくわからない)、自分は変わるべきでないのだと、あるいは自分が変わらないことにとても価値があると、そう確信して生きていた。
だから自分にとって Twitter をやめると決意したことは、単に日々の娯楽を絶つというだけでなく、過去の自分の決別することに近い意味を持っていたのだと思う。そして SNS と距離を取るということは、過去の自分と距離を取るということ、自分を過去の延長線上から引き離すという「今の僕」の意思表示であった。
だからそれだけで全てうまくいった。今の僕は二ヶ月前の自分とは別人なのだから、全てが変わって、全てを変えられるようになって当然なのだ。
自分を変えるために重要なこと
最初に書いたように、この記事はあくまでも僕の物語でしかない。先の節がまさしくそれだ。
だけどこの経験を経て同時にわかったことがある。今の自分を形作っているもののうちのひとつ——僕の場合は Twitter だったが、職業だったり、容姿だったり、その人によって異なる——が変われば、勝手に結果はついてくるということだ。
僕はたまたま SNS をやめようと決意したあと、時間を有効活用したいと思って『時間術大全』という本を手に取った(なぜ買ったのか全く思い出せないが家にあった)。だけど途中からほとんど読まなかった。だって自分がこの本を読み終えた時には、SNS 中毒がすっかり収まっていたどころか、この本に書いてある施策で日々の生活に取り入れるべきことはほとんど実行し終えていた。自分に悪影響を与えている根幹さえ取り除いてしまえば、実は壁はほとんど乗り越え終えていて、あとは自分なりのアレンジをするだけなのだとわかった。
言い換えれば、自分の生活、自分の人生が乱れている根が深い原因から目を逸らし、小手先のテクニックだけ意識しても効果がないということがわかった。去年の夏に筋トレを始めたけれど、正直なところ筋トレの習慣がついているとは言い難かった。しかし Twitter から距離をとったらそれが習慣づいたどころか、そのほかありとあらゆる習慣が一挙に改善された。何かを表面的に変えるよりも抜本的に変わる方が、最初のハードルは高いが、ストレスもなく変われる。
とはいえ、そうした根深い原因に目を向けるのは簡単ではない。自分の奥深いところで巣食っているものだし、そもそも当たり前すぎて問題を問題だと認識することさえも難しいかもしれない。
僕の場合はコロナ禍やアメリカ大統領選もあって Twitter が怒り、憎しみ、そのほかあらゆるネガティブな感情で満ち満ちていくことに嫌気が差したのがきっかけだった。それがあって初めて、なぜいやな気持ちになりながら Twitter を続けているんだろうと疑問に思った。その疑問は日に日に大きくなって、2 ヶ月前の決意に至った。
僕の場合は運が良かった。自分に悪影響を及ぼしているもののひとつで、根深いところにあったものが、自分から綻び始めてくれたからだ。
おわりに
まだ僕の物語は終わってない。まだ死んでないからでも何事も成し遂げていないからでもない。僕には他にもいくつか問題がある。自分の中に深く深く鎮座している問題がある。
だけど、僕はもう悲観していない。自分は変われると思っている。今回の件で、意外と簡単に自分の人生は豊かになるのだと知れた。自分はこの二ヶ月で何かを成したわけでもない。OSS を作って世界中から賞賛されたりしてないし、大企業のインタビューを受けて内定を得たわけでもないし、なんなら収入も増えてないし、友達も増えてないし、パートナーができたわけでもない。
それでもいま僕の生活はとても充実している。明日は何をしようかと思いながら夜眠り、スッキリと朝目を覚まして、昨晩の自分が思い描いた通りの日を実際に創り上げることができる。誰かがいたほうがより楽しい、より幸せな可能性は認めるけど、1 人でだって人生はそこそこに充実するとわかった。たったひとつの決意で、僕の人生は変わった。
何度も言うように、同じことが誰にでも言えるとは思ってない。たとえばこの記事ではお金の話を一切していないし、今の状態のまま収入が半減したら豊かな人生とか言っている余裕はないだろう。
だけどもしかしたら、豊かな人生とか、幸せな人生とかってやつを手に入れるために、ただ自分が一歩踏み出すだけで済む人が大勢いるのかもしれない。
その他見たもの、読んだもの
この 2 ヶ月でインプットの内容が如実に変わった(質がどうなのかはわからない)。今回 SNS と距離を取るにあたり影響を受けたコンテンツをここに書いておく。すべてこの 2 ヶ月でみたもの、読んだものだ。
↑邦題がいかにも胡散臭いけど原題は GAME CHANGERS -- What Leaders, Innovators, and Mavericks Do to Win at Life で、実際に原題のようなことが書かれているので邦題をあてにしないように。。