これは僕の Twitter の話だ。だからあくまでも個人的な経験談でしかない。
だけどもしかすると、キミの Instagram の話かもしれないし、あなたの Facebook の話かもしれない。もしかすると、過去のキミの話かもしれないし、未来のあなたの話かもしれない。僕はそう思っている。
これはイマを生きる僕ら全員に関わる話だ。残念なことに、望むと望まざるとにかかわらず。
ゲームチェンジ
SNS の時代は終わった。いや、終わっていた。気がついた時には既にゲームチェンジは起きていた。いま現在の TikTok と Instagram の——ひいては ByteDance と Meta の—— “戦争” の火蓋はもう既に切って落とされていた。
僕がそれに気づいたのは 2021 年、TikTok を初めてインストールした後のことだった。
「Z 世代というやつはこんな空間で生きているのか」
アプリを使い始めてすぐ衝撃を受けた。それまでの僕は TikTok に対して、女の子が踊っているらしい以上のイメージはなかった。だから始めなかった。そこに自分の見たいものがあると思えなかったからだ。
今にして思えばなんと愚かだったか!コンテンツの内容や質は問題ではない。ユーザーが増えれば勝手にコンテンツは多様化する。メインコンテンツやターゲット層が何かなんてどうでもよかったのだ。
重要なのはコアの価値であり、プラットフォームの哲学だ。そして TikTok は既存の SNS すべてと全く違う空間を作り上げ、覇権を取りにきた。
TikTok とそれ以前の SNS の違いは本質的だが、たったひとつの差である。このプラットフォームはコンテンツに辿り着くまで選択という行為が存在しないのだ。ただのひとつの選択をすることもなく、アプリを開いた瞬間に動画が再生される。
TikTok 以前、ユーザーは自分が見たいものを選択しなければならなかった
既存の SNS どころか、ありとあらゆるコンテンツプラットフォームもそうだった。Facebook は友だちとつながることで、Twitter や Instagram は誰かや何かをフォローすることでコンテンツが表示され始める*1。YouTube も Netflix も Amazon Prime Video も見たい動画を検索やリコメンド欄から選択することで、初めて動画が再生される。
コンテンツにたどり着くまでにユーザーに選択をさせる。それが SNS だった。それが旧来のプラットフォームだった。その既成概念を TikTok は破壊した。アプリを開いた瞬間に動画が再生されること。これこそが「ゲームチェンジ」の正体だ。
アルゴリズム >> ソーシャルグラフ
「ユーザーが見たいものは、ユーザーが見ているものである」
当たり前である。この当たり前と技術力を駆使し、動画の表示アルゴリズムを実装したのが TikTok だ。
TikTok で表示される For You タブ*2はユーザーが見そうかどうかを、ユーザーの視聴データをもとにして判断する。あなたはただ動画を推薦されるままに再生し、見たいものはそのまま見て、見たくないものはスキップしてと繰り返すだけでいい。あとはアルゴリズムがあなたが見たいであろう動画や画像を勝手にリコメンドしてくれる。
この動画は見たくないとかいちいち意思表示する必要さえない。アルゴリズムはあなたが一切のリアクション——いいね、シェア、保存など——をしなくても視聴データから学習し、次の動画を推薦してくれる。
アカウントをフォローしても動画が For You タブに流れてくるとは限らない。なぜなら、フォローしていることと、あなたが動画を見るかは別の話だからだ。フォロー/フォロワーはコンテンツを表示するためのものではない。コンテンツはアルゴリズムに従って、ひとつひとつ提示され続ける。
TikTok はプラットフォームから「選択」を失くした。フォロー/フォロワーというソーシャルグラフも失くした。その代わりに追加したのがアルゴリズムだ。
その結果、世界一を争うプラットフォームになった。
飛ぶ鳥を落とす勢いの TikTok
2021 年、TikTok は全世界で月間アクティブユーザー数(MAU)が 10 億を越えた。
ちなみに Facebook が 10 億ユーザーを越えたのは 2014 年であり、Instagram が 10 億ユーザーを越えたのは 2019 年のことだ。いずれも創業から数えると 10 年弱ほどの時間がかかっている*3。
一方で、TikTok が 10 億ユーザーを突破したのは 2021 年でありサービス開始からたった 4 年間で達成した。
もちろん、サービス以外の外的要因でユーザー数が加速した側面もあるだろう。しかし、事実として Meta が要した半分以下の時間で 10 億というユーザー数を達成したことは揺るがない。
Meta は明らかに TikTok に追従する動きを見せている。その動きと焦りが、何より TikTok のすさまじさを物語っている。
僕らが過ごしやすい世界
日常に広がるアルゴリズム
大きな主語、「世界」の話をした。
さて僕らの日常はどう変わるんだろう。言うまでもなく、僕たちはもう SNS やコンテンツプラットフォームに関わらないで生きることは難しいと言えるような時代になっている。
SNS の価値とされていたソーシャルグラフを、各プラットフォームが自らぶっ壊してアルゴリズムの世界に移行しようとしているのが今の時代だ。
しかし、既存ユーザーはあまり適応できていないように推察される。Instagram はフィードで動画を優先して既存ユーザーの反発を受けた。Twitter はリコメンドのタイムラインを常時表示しようとして失敗した。
僕は既存ユーザーの意見を押し退けてでもぶっ壊すべきだと思う。なぜならもうSNS に友だちはいらないからだ。そんな時代じゃない。
僕もかつての古参ユーザーよろしく、時系列タイムラインの表示を続けていた。フォローするアカウントを自分で選択していた。それが過ごしやすいと思っていたからだ。
しかし、ある時なんの気なしにホームタイムラインに切り替えた。
結論からいうと、思いのほか快適だった。時系列タイムラインは、フォロイーのツイートも RT も全てを表示するため、過激な発言や他人を攻撃するような発言も RT されてきた。そのアカウントをフォローはし続けたいが、一部見たくないものがあるときに時系列表示だとどうしようもなかった。
一方で、アルゴリズムにはフィードバックができる。 「このツイートに興味がない(Not interested in this tweet )」を使い、RT がいやなのか、このアカウントがいやなのか、このトピックに興味がないのかなど詳細をフィードバックができる。
しばらくフィードバックをしているうちに、いつの間にか慣れていた。むしろこの間最新ツイート表示を見てみたら動きがなさすぎてつまらなかった。
ここに友だちはいらない
そして気がついた。僕のタイムラインから「友だち」が居なくなっていたことに。
確かに僕は友だちをフォローしている。会えば一緒に酒を飲み、どうでもいい話をする普通の友だちだ。しかし、Twitter で僕は彼らのことを一切見ていない。見ていないから、アルゴリズムに推薦されない。自分でも認識していなかったが、Twitter で見たいものは別に友達の日常ではないということがアルゴリズムのおかげでわかった。
僕が見たいものは非常に限定的である。僕は自分が読みたい本、自分が読みたい記事、知らなかったポッドキャストを Twitter で発見したいのであって、政治的意見がみたいわけでもなければ、エンジニアリングのトピックを議論したいわけでもない。
自分にとって有益なことが知りたいのであって、罵詈雑言のような毒はもちろんのこと、別に薬にもならない発言もまた興味も関心もないのだ。
昔の僕なら、こう反論するだろう。「アルゴリズムが見せてくるものは、見せられているものであって見たいものではない」。
かつては僕もそう思っていたし、そう思う気持ちは理解できる。しかし、考えれば考えるほど違うと思うようになった。
ソーシャルグラフからコンテンツを表示するというのは、あなたがフォローした人はあなたの見たいコンテンツを投稿するはずだという仮説のもとで成り立っている。しかし、この仮説は明らかに間違っている。どう考えても、フォローして DM などでやりとりをする友だちの投稿のすべてに関心があるはずはない。僕がフォローした人が RT した何かに興味があるわけもない。人の興味が完全に重なることはないからだ。
アルゴリズムの根本的な考えは、「あなたが見たものが、あなたが見たいものである」ということに尽きると思う*4。実際、僕が見たいものは、やっぱり僕が見たものから類推できる。アルゴリズムを調教した結果、そう感じるようになった。もはやアルゴリズムのほうが僕よりも僕の見たいコンテンツに対する感度が高いのだ。
アルゴリズムが友だちを排除したなら、僕にとってもここに友だちはいらないのだ。
アルゴリズムに蝕まれる個人・社会
ここまで書いておいてなんだが、アルゴリズムが「正しい」とか言うつもりは毛頭ないとは弁明しておく。アルゴリズムは神の宣託であり、それを盲信すればいいとか思っているわけではない。
ただ、この流れに抗うこともまた不可能ではないかという諦めのようなものが僕にはある。
アルゴリズムにどのような問題があるかはここでは詳細には書かない。興味があれば例えば次の記事などを参照してほしい。
ただひとつ言えることは、アルゴリズムの影響でこの社会は大きく変容するのは確実だと思っている。
テクノロジーのパワーは恐ろしく、暴力に直結することさえある。ヒトラーを語るのにラジオというテクノロジー抜きで語ることはできない。アラブの春を語るのに Twitter の存在を無視することはできない。
個々人の価値観さえ変えうる。Instagram は「映え」という概念を根付かせ、飲食店、観光地などあらゆる業界に暴力的なまでの変化を促した。完全に社会を変えたプラットフォームだ。
テクノロジーは今後も見える形でも見えない形でも僕たちの社会を蝕んでいく。アルゴリズムも、間違いなくその一翼を担うだろう。今はまだ、どう変わるのかはわからないが。
終わりに
僕はなんだかんだ言って Twitter が好きだ。しかし今のままでは Twitter は終わる(つまり潰れる)と本気で危機感を抱いている。Meta が全力で TikTok に対抗しようとしているのに比べて、Twitter の旧経営陣の動きはあまりに遅く、そして的外れに僕の目には見えていた。
かといって、Elon Musk による買収を手放しで喜べるわけもない。彼が素晴らしい V 字回復を実現できるのかは僕には分からない。ただ、きっと 1 年後には全く違う状況にあることは予見できた。だから、僕はこの 1 年間で考えたことをある種のスナップショットとして書きつけておくことにした。
僕はメディアが好きだ。人にものを伝えるということはかなり人間の原始的な営みのひとつだと思う。
そして伝えるという権利を民主化させたのがインターネットであり、SNS だった。世界は確実に変わった。良いことばかりじゃないが、人間がより自由に生きることを追求するためになくてはならないものになっていると思う。
これらの SNS ——Facebook, Instagram, Twitter, TikTok——が共存できるかどうかはわからない。どれかはサービス閉鎖に追い込まれる将来がやってくる確率の方が高いと僕は思っている。
今のままだときっと Twitter は閉鎖に追い込まれる側だろう。そうならないように僕は祈っている。この記事は、その祈りのひとつである。
*1:最近は Twitter や Instagram でも フォロー0、フォロワー0の状態でもコンテンツは表示される。しかし、ソーシャルグラフが存在することを前提に体験が設計されていることは否めない。
*2:もしあなたが TikTok ユーザーなら、その名前を意識することはないだろう。アプリを開いたときに最初に表示される画面である。
*3:ちなみに日本人ならここで Twitter は?と聞くかもしれない。結論から言うと、Twitter は 10 億ユーザーを越えていない。3 億超程度とされていて、大きく水をあけられている。
*4:もちろん、TikTok を見ていると順番とか刺激とか細かい調整をしていると感じるので一概にこのルールだけと言うつもりはない。