Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

最近考えていること 2024年10月

名字のはなし

自分が名字を変える可能性が出てきたので色々と調べてみている。

正確に理解するのが難しい話なので、僕の理解は誤っている可能性もある前提で読んで欲しい。

まず、自分が調べている限り、日本の法律では、夫婦は同姓でなければならない*1。婚姻届を出す時に、夫の姓か妻の姓かを選ぶ必要がある。

離婚すると、変更した側は旧姓に戻すか継続して元夫または元妻の姓を使うかを選択することができる。

この際に、遺産相続権はどうなるか。僕が調べた結果は特に変化はしない。つまり、名字をどちらにしようとも夫の親族の遺産は夫にのみ相続権がある。妻の親族の遺産は妻にのみ相続権がある(この相続権まで変えようとすると養子縁組をする必要がある)。

子どもの名前はどうなるか。選択した名字がそのまま使われる。

それから、旧姓の通称使用が認められつつあると理解している。詳細を調査していない。理由は、筆者はもし姓を変更する場合は面倒なので本名であらゆる場面で統一したいと思っているからだ。

ていうかエンジニア的には、名前とは別にIDを振ることができるようマイナンバー制度をやっているのに、名前を変えるのにそんなにハードルを感じる気持ちがわからない。名前なんて技術的にはIDに対するラベルでしかないし、僕の名前が変わっても僕はいつか慣れるだろう。

僕の名前が変わって困るのは、僕ではなくむしろ周囲であろうと推察している。

このような事象は、僕の人生で起き続けている。つまり、僕にとっては自然な意思決定が、他の人にとって大迷惑というのはよくある。僕はそういう空気は読まないというか、この事象において迷惑をかけている主体は僕ではなく日本の法律だと理解している。僕を責めるのはお門違いだと思う。

今回の事例は確かに影響範囲は大きいが、メジャーバージョンアップだと思って両親も含めたみなさんに対応を願うしかないだろう。APIの後方互換性は切らないといけないことはあるのだ。

話を戻す。どういうときに改姓の手続きが面倒か。特に面倒なのは、海外の方とのコミュニケーションなどである。日本の法律では改姓を強制しているという前提を知らない人や団体とのコミュニケーションは面倒であろうと推察される。

日本の人間や団体であれば、手続き自体の時間は長くかかったとしても改姓を強制されている認知は共通である。だから、改姓手続きで話が通じない、対応してくれないといった問題は比較的起こりづらいだろう。

婚姻の話

では次に(僕はこちらが本丸だと思うのだが)、日本の婚姻制度の話である。

まず、日本の制度には、事実婚という概念があるし社会実装されている(以後、事実婚と区別するために婚姻届を提出する婚姻を法律婚と書く)。届出を出すことで、事実婚が認められる。即ち、自分たちは夫婦であると思っていることを届け出ることで、他者からも夫婦と認められる状態を作ることができる。

事実婚であれば、姓を同一にする必要はない。他にもいわゆる「バツ」がつかないといったこともあるらしいが、あまり筆者は興味がない。

事実婚はあくまで事実婚なので、法律婚とは違いがある。

例えば、下記の事柄がある。

  • 子どもができたときに共同親権がない
    • 親権は母親にあり、名字も母(つまり妻)の名字を使う
  • 片方が亡くなる場合、遺言がなければパートナーに財産の相続権がない
  • 大きな手術など、家族として主治医の説明を聞くことができない(詳細を覚えていないが事例として聞いたことがある)

筆者の感想

僕が調べてみて思ったのは、事実婚のあまり意味のなさである。

婚姻は自分のためにするのではなく社会制度のために実施するものだ。だから、自己認知を役所に届け出ることにほとんど意味はないだろう。

国家になぜ婚姻を管理されなければならないのかと僕はよく思う。そういう意味で、僕は事実婚でも良いと思っていた。

しかし、財産や医療といった非常にセンシティブな場面で法律婚と事実婚の違いが発生するのであれば、名字の変更という不便を受けてでも法律婚制度に乗るべきではないかと今は思っている。

日本の歴史をある程度学べばわかるが、日本においては姓は重要な要素であり続けている(正確には姓というより家だが)。したがって、姓は日本の婚姻制度においても当たり前のように重要要素であり続けてきたし、いまもそうなのだと思う(筆者は全くそうは思わないが)*2

姓は社会制度に使われている。パスポートの名前を自由に選ぶことはできない。そこで名前が一意でなければ、国際的に「怪しいヤツ」になってしまう*3

姓は日常生活にも使われている。僕のメールアドレスには僕の苗字が入っており、容易に変更はできない。おそらく僕は法律婚をしたら新しい苗字のGoogleアカウントを作り直すなどし、過去のGoogleアカウントから新しいGoogleアカウントへのメール転送設定をするだろう。

こうしたことを考えるとまぁ面倒であるし、おそらく想像しているよりも面倒だろう。会社のメールアドレスとかを変えるのも面倒だろう。

長くなってきたんでそろそろ書き終えたいが、別に僕はこの面倒さを引き受ける覚悟はある。なぜならば、この面倒さは日本の(選択的夫婦別姓制度のみならず)社会制度の変更の遅さに起因していると思う(ちなみに、選択的夫婦別姓制度の議論自体は僕がうまれたころ、30年ほど前から既にある)。

社会制度の変更が遅いことに文句をいうことは簡単だし、僕も色々思う。一方で、社会制度の変更が遅いことによって、そもそも日本社会が平和であるとか、国民の分断が(米国を代表とする他の西側諸国ほどには)進んでいないとか、中ロを代表とする非西側諸国に比べてわりと言論が自由であるとか、紛争が起きていないとか、そもそも名字を変える変えないという(人権には関わると思うが)人の命に関わらないような問題が政治の争点になるという状況を生んでいると思う。

たしかに僕がこの記事を書いたのは選択的夫婦別姓制度がないからという理由が大きい。一方で、じゃあ日本がスムーズに選択的夫婦別姓制度を導入できるような国家なのだとしたら、それによるマイナスは意外ともっと計り知れないような、そもそも安心して日常生活を送れないような社会になっているような、そんな気がするのである。

この平和のために、人権を侵害されるのならそれもひとつの生き方かと思ったりもする。

*1:実はこの一文でさえ誤っている可能性がある。例えば、片方が外国籍の場合どうなのか、といったことを考慮すると例外が発生しうると理解している。が、そこまで調べていないし、僕のケースでは該当しないので考慮しないで書いている。

*2:あまり深入りしないが、僕の理解では姓が統一されていたことが大事だったわけではない。姓が重要だっただけだと認識している。実際、源頼朝の妻は北条政子の名で歴史に名が残っており、名字が一緒であることは重要ではない。

*3:ちなみに僕はパスポートを「顔写真付き身分証明書の中で当時最も安かったから」という理由で発行したので、国際的なコミュニケーションには一切興味がない。だから名字が変わることによるデメリットは再発行が面倒以外にない。