Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

もう2度と会わない人に想いを馳せることについて

もう2度と会わない人にふと想いを馳せることがある。

例えば、何かしら負い目を覚えた人だったりする。楽しい時を過ごしたこともあるけれど、どちらかが別れを選んだ人のこともある。

思い浮かぶすべてがいい思い出とも限らない。残念に思うこともあるし、チクチクとトゲが心に刺さったように感じることもある。

出会ったら別れる。楽しい思い出も、悲しい思い出も心に残る。

諦めても諦めきれないことだってある。悔いても悔いきれないこともある。

やりきれなかったことをもう一度やり直すのが難しかったり、できなかったりすることもある。

それが人生ってやつだ。

人生ってやつをあまりうまく進めている自覚はない。だけど、それらすべてが自分の努力の過程であると考えれば、得たものは大きい。

それはつまんない解釈でしかないが、実際そうなんだから仕方がない。僕は僕だけではできていない。


ただ、振り返ったその記憶・思い出・感謝・哀しみが、とても強いものであったとき。

そしてその人にはもう2度と会えないとわかっているとき。

えも言われぬ気持ちになって、僕は立ち止まったりする。

もし僕が今日死ぬなら、謝りたいなと思う仕打ちをした人がいる。

もし僕が今日死ぬなら、もう一度会いたいなと思うほど、まだほんとうに大切だと思っている人もいる。

でもそれはぜんぶ自分のエゴだ。そして何より、仮に僕がそうしたところでお互いの人生にとって意味がない。

僕は僕の人生を生きるしかない。それ以外のことはなにもできない。


僕は僕の生き方を選んできた。必然的に、別れのほとんども自分で選んできた。

だから、自分でもう2度と会わないと決めた人たちに想いを馳せるとき、切ない気持ちになる。

感謝と後悔とともに、だからいまの自分があるという事実もある。

自分で決めたからこそ、他の誰にも、この過程の責任を帰することはできない。ただ僕が独りで勝手に寂しい気持ちになるだけ。

だからこそ僕の人生がある。

だからこそ、僕は今日も虚勢を張って生きている。