Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

自由を引き受けようという気持ちにやっとなってきた

30 年くらい生きてきて、やっと自由に向き合うことができるようになってきた。気がする。

大学生になったとき、"自由"を楽しんでいた。大学というのは高校までと違い自由な場所であるというイメージがあったし、これこそが自由なのだと僕も思っていた。しかし、実際のところは違った。大学生のときの行動はいま思うととても制限されていた。誰かに制限されていたのではなく、自分で制限していたのである。

制限していたことが悪いとは思わない。不自由だからこそ居心地がよかったのだった。人はある程度制限されたほうが心地よく感じるのだ。その心地よさを自由だと勘違いしていた。

会社員になったとき、僕の身に思ったよりもはやいタイミングで自由がやってきた。この自由がホンモノとまでは言わないが、少なくとも大学生のときに謳歌していた紛い物とは違った。

最初はそれが自由だと思えず、恐ろしかった。例えるなら、闇夜に灯りもなく放り出された気分になった。何もないことが怖い。恐ろしい。だから僕は逃げ出した。

それから何年間か経って、色々と考えて経験してきた。今は少し違う形で自由をとらえつつある。


自由とは、個人で意思決定ができる範囲が広い状態に他ならない。

人生とは意思決定の繰り返しでしかなく、意思決定をするのは居心地が悪いことである。その意思決定の大部分——居住、移転、職業選択、表現、婚姻など——は個人の選択に委ねられている。それが自由民主主義国家のスタンスであり、先人たちの革命により獲得した権利なのだ。

例えば、企業において自由になるということは出世することに近い。平社員の意思決定が事業上の大きなトラブルを招くことはあまりないが、部長やリーダークラスの意思決定がプロジェクトを頓挫させたり、リソースの浪費をしたり、売り上げに大打撃を与えることは大いにあり得る。平社員が意思決定しないのはその社員の給与があがらなかったりクビになったりする程度で済むが、上層部が意思決定をしないのは企業存続の危機に直結する。

自由を引き受けるとは、そうしたリスクを含めて自分の意思決定できる範囲が大きくなったことを受け入れるという意味である。

事実として、意思決定は難しい。自分にそんな器量があるのかとか、いろいろと思うことはあるかもしれない。それでも、訓練するしかない。僕もまだまだ訓練しないといけない。


僕の人生において大きな意思決定はそう多くない。ガラッと方針転換をするような意思決定はそんなにしていない。しかし、2 つくらいはあるかなと思う。

ひとつめは中学 3 年生のときに急に勉強を始めたことだ。よく大学入試の思い出話をするが、僕の人生の転換は間違いなく高校入試の方が割合が大きい。

中 3 の時点で転換しなければ僕は自分の出身高校に入学することはなかった。大学に進学さえしなかったかもしれないし、全く違う人生を歩んでいただろう*1

学ぶことに全く興味がなかった自分が、そもそも大学受験をするのが当たり前の高校に進学すると決めた。僕の勉強の目的は自由を探求するためだ。自分が自由になるため、自由とは何かを知るために勉強すると決めた。これだけ書くと意味不明だけど、書き始めると記事1本の文量になるので書かない。

ふたつめは、大学院を中退したことだ。よく話しているので詳細は省く。

辞めるという意思決定は今も人生の糧になっている。何かを諦める時、何かを捨てる時、会社を辞める時、進行中のものをやめることができるようになったのは大学院を辞めたからだ。

人は始めたことをやめられないのは、やめた経験がある人が少ないからだと思う。一度くらい自分の生活の大部分を占めていたものをやめてみるといい。案外あっさりやめられるものだ。


話を戻して、直近、自分は自由だなと実感することがよくある。先月も難しい意思決定をした。今月も来月も、たぶんなにか意思決定をする。

心地よくはない。ていうかやりたくない。意思決定のタイミングが来るたび、マジで体調が悪くなる。生活リズムが狂う。それでも、引き受けようという意識だけは持ち続けている。

意思決定をしたくない人が生きやすいパッケージの中で生きたかったなとたまに妄想する。それが、数十年前まではいわゆる「いい大学入っていい会社に就職して終身雇用、適当な年齢で結婚して子供を育ててマイホームを所有する」セットだったんだろう。それはそれで楽しい人生だし尊重したい。ていうか僕もそう生きたい*2

しかし、それでも僕は僕でマイペースに、自分の自由を探求する旅を続けている。中学のときの自分が、自分の自由を、自分のものにすると思って勉強し始めたんだから、15 年くらいそうしている。そして、15 年かけてやっと、ひとつ自由に対する解像度がやっとあがったなと思う。自由に向き合うポーズは取れるようになってきたなと思う。

次の 15 年で、またひとつ次のステージに行けるだろうか。

*1:数学もプログラミングもブログを書くことも一切しない人生だったかもしれない。そして、それはそれで幸せだったかもしれない。

*2:そのように生きる気はない。心底憧れるが自分は選ばない。憧れを実現させることと自分が幸せになれるかどうかは別の話だからだ。