Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

どんな理不尽が起ころうと、全力で生きよう

最近、死を意識することがあった。

僕が死ぬという話ではないし、別に誰かが亡くなった話でもない。

でも人って死ぬんだなという当たり前のことをしみじみと思った。


最近、過去を懐かしんでいることが多い。

前回、異常に長い記事を投稿した。僕の人生を振り返った長大な文章だ。

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これだけ長いが、実は書かなかったことがいろいろある。特に、人間関係についてはカットした。

理由はテーマである「やめたら勝手に始まった」という構造の中で人間関係を前面に出すと話が散らかるからだ。

書けなかったが、たくさん思い出したことがあった。そのときどきの人たちには本当に感謝をしたい。

そして、その気持ちはもう今年のはじめにつづった。

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過去の思い出も清算するために書いて、振り返って、未来のためにいまなにをしているかまで書いて。もう振り返りたいこともなくなった。僕の人生のエモい部分はきっと全部出し尽くした。

だからもう迷わない。僕は前を向いて歩く——そう思った矢先に、死を意識することになった。

これがなんなのかはよくわからない。

なにか言えるのだとすれば、理不尽だと思う。この世は理不尽だ。生まれた時から人は不平等だ。

その理不尽さに、僕は怒り狂って20余年を生きたきた。そしてそれなりに自分の怒りを飼い慣らして僕はなんとかやっている。

でもたまに、今でもキャパオーバーすることがある。なんてこの世は理不尽なんだと。口には出さないけど、怒りも悲しみも湧き上がって、それ以外のことが考えられなくなる時がある。

でも僕はいつも、最後はこう考えることにしている。すずめの戸締りを見た時に思い出したこと。

「この世でどんな理不尽が起ころうと、僕の身に降りかかっていないのであれば、僕は全力で生きよう」

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それだけだ。

他にやりたいこともない。他にできることもない。ならば、僕はただ僕として生きるしかない。


今日、妻とウェディングフォトを撮りに行った。最初は正直まったく乗り気じゃなかったのだけれど、思っていたよりも楽しかった。

やってみたら楽しいものだし、こんなに楽しいなら毎年のように撮ってもいいと思う。

この気持ちを、純粋に持っている。それは死を意識して純粋に悲しみや苦しみを意識するのと同じくらい純粋に。

清濁を併せ飲む。僕はそう決めた。

この世には割り切れないことしかない。でも意思をもって未来を作ることはできる。

BGM


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