1/どうか葵ちゃんの命を救うためにご協力お願いします。長文スレッドになります。
— yamotty (@yamotty3) November 14, 2022
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10X という会社の代表であり起業家の矢本さんのこのツイートを読んだ。
良いことをしたという確信は正直自分にはないのだけど、それはそれとして寄付はした。
別に寄付をしたことを自慢したいわけではない。というか、寄付をしたほうがよかったのかさえ僕にはわからない。人が生きるか死ぬかが、お金や科学技術の変化で変わることが本当にいいのかどうかがわからないのと同じだ*1。
寄付をするのは結構好きだ。理由は自分に選択権があるということを強く感じるからだ。寄付をするかしないかは完全に自分の意志だけで決定される。もし興味がなければしなくてよい。興味があれば、人の命や誰かの権利を守るために自分が手助けすることが、自分の意志だけでできる。
例えば僕は女性がもっと IT などの世界に来てくれるといいなと思っていて Waffle という特定非営利活動法人に寄付をたまにしている。例えば、僕は子供の貧困は問題だと思っているし、学生がもっと勉強する機会を得られるといいなと思って Learning for All という団体にも寄付をしたことがある。
自分のお金をどう使うかは、自分がいまをどう変えたいかという意志表明である。自分がどういう生活を歩みたいかというミクロなテーマなこともあるし、自分がどういう社会を作りたいかというマクロなテーマなこともある。いずれにせよ、「ちょっと高級なティッシュがほしい」でも、「インスタで見つけたカバンがほしい」でも、「子供の命を救うために寄付しよう」でも、どれも意志表明だ。
そして実際に社会を変える手助けを金銭の授受という形でできる。消費はとても社会的な活動である。だからこそ、最近 ESG 投資だのなんだのと言われるのだろう。
こんなこと誰も教えてくれなかった。お金の使い方、誰にも習わないわりに難しすぎると思う。
一方で、所詮少額だし世間に与えられている影響は小さすぎるなとも思う。だが、別にお金持ちになりたくもない。
お金持ちになるなら、中途半端な金持ちにならずに大金持ちになりたいなと思っている。それで、別に僕は大金持ちになる努力はしたくないなと思ってあまりお金を持たないような生き方を選んでいる。誰とは言わないが誰かを大金持ちにしてやりたい、と思ってはいる。
ちなみに大金持ちになるための努力を少しだけ考えると、まず日本を出た方がたぶん選択肢としては良い。具体的にはアメリカに行くのが代表的な選択肢だろう。会社員としてお金持ちになることを目指すなら日本では絶望的だし、起業するにしてもアメリカで働くことは良い経験になるだろう。これ以上真面目に考えたことはない。
少なくとも、日本円にして兆の桁の円を動かせるような人になることを考えたい*2。それ未満だと少なすぎるし、大差ないのでどうでもいい。兆の桁の円を動かせるように努力して数千億くらい動かせるようになって死ぬ、くらいがまぁ僕の器としてはせいぜいかなぁというのが今のところの感覚である。もちろん、そこにたどり着けない可能性も十分に高い。たどり着けない確率が85%くらい。
ということであくまで夢物語として語る。
せっかくお金を持つなら自分の意志を世界に投影したい。何かを創って何かを訴えて死んでいきたい。
たまに話すが、僕は慈善活動家としてのビル・ゲイツに憧れている。ウォーレン・バフェットからとんでもない額の寄付を受けるほど信頼されているわけで、これはめちゃくちゃすごいことだと思う。
単にバフェット氏もゲイツ氏も大金持ちで友達どうしだからというだけの話で終わらるべきではない話だ。
寄付が集まると言うことは、ゲイツ氏のお金の使い方が(適切かはさておき)評価されていることで、それすなわちゲイツ氏の哲学のようなものが信頼されていることに他ならない。なにを善とするか、なにをするのが世界を前進させるのか、その大局観が支持されていて、その選択権を彼が持っているのだ。
消費するだけの人生を過ごすなら年収なんてそんなに要らないし、僕も消費するだけの存在でしかない。年収が300万と600万が誤差とはさすがに言わないけど、年収 500 万と年収 1,000 万はたぶん誤差だと思う*3。それくらい消費も貯蓄も人生にとって鍵になるものではない。もっと大事なことが山ほどある。
自分がやりたいことをやっているのであれば、お金なんてあとからどうにでもなるのではないか、という仮説がある。
お金を集めたから何かができるのではなく、何かを真剣にやっていればお金はあとで集まってくる。資本主義自由市場経済とはそういう環境ではと思っている。
最近僕はお金を本に使っている。人の生き死にを本を読んで学んでいる。パっと本を買ってダラダラ読んで感動したりつまんないなって文句言ったりしている。消費するだけの贅沢な人生だ。
ただいくら消費できるようになったとしても結局のところ人生はつまらない。もっともっと、クリエイティブなことに時間とお金を使いたいと思うこのところである。その方が、消費も面白くなる。