Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

最近考えていること 2024年3月

入社した

3月1日に入社して、会社員に戻った。

この記事ではどの会社に入ったか書かないけど、それは入社エントリはそれとしてちゃんと書きたいからだ。所属非公開なわけではない。

前職は出社義務一切なしでフレックス、コアタイムなしという環境で働いていた。その真逆で今は週5で出社しているし、就業規則上はフレックスタイム制でさえない。

そんな大反動は大丈夫なのかなと自分でも思っていたけど、少なくとも今のところ大丈夫。いや、身体は疲れているけど、ストレスでやられて後悔しているとかはない。

あと前職時代は別に早く起きる必要がない日が多かったのでよく遅くまで酒を飲んだり意味もなく夜更かしをしていたのだが、そういう日がなくなった(ていうか疲れて勝手に寝る)。そういう意味でも健康的である。

僕は9時5時で働く、みたいなのが小学校みたいで大嫌いだと思っていた。でも冷静に考えると、小学生みたいな生活習慣も悪いものではない*1。昔から僕は自由を求めていたのだけど、自由というものは朝起きる時間を自分で選べるとか、場所を選ばず働けるみたいなこととは実は関係ないのだと気づいた。

10時前に出社を目指しているし、通勤も運良く(本当に運良く)あまり混まない路線で通勤できているのでその意味でもストレスは少ない。通勤時間は例の如くポッドキャストを聞いたり、本を読んだりしている。

前職時代も、朝仕事をする前に着替えて散歩してニュースを読んでポッドキャストを聞いてってルーティンをしてから仕事をしていたので、結局やっていることはあまり変わらない。

一応、注釈しておくと僕がリモートでも出社でも生活が結局変わらないとか言えるのは僕は独身の単身世帯で家庭がないからである。その前提はある。

あと、別に僕は自分の選択を人に布教したいとも思っていないし、僕が週5出社を受けいれているのはその会社のその事業での組織の作り方だったからだ。

僕は自分なりに考えた結果、僕が入社した会社はリモート不可にする理由があると思ったのでそれに従っている。

これがもし、たとえばtoCのWebサービスを作っているような会社だったら賛同できかねる。その場合は入社していないと思う。事業のあるべき姿とどのような勤務体系かは関係している。その整合性が大事、と勝手に思っている。

最近の読書

そんなわけで通勤中にはよく本やニュース記事を読んでいる。

結構前から積読していた『日本語に生まれること、フランス語を生きること』というタイトルの本を読んだ。

長い感想を書いたので感想についてはそちらに。なんか良い本なのに最悪な本だった。

sizu.me

次に『ガザとは何か』を読んだ。

イスラエル - パレスチナ問題は去年の10月7日のハマスの攻撃により今もまだ戦闘が続いている。2024年3月9日時点でも、Rafahの居住用のビル(日本語のマンションと表現していいものかわからないが)がイスラエルの攻撃を受け、ホームレスになることを余儀なくされた人がいる。

www.aljazeera.com

この本の中では、イスラエルがパレスチナに対して繰り返してきた暴力が書かれている。

そして、なぜ我々がそれを知らないのかについて、イスラエルの巧みな情報操作があると指摘している。本当はイスラエルがやったこと(たとえば民間人の殺害や建物の爆破)を「パレスチナがやったことだ」と主張することで主張を対立させ、どちらの主張が正しいのかわからない状況を作る。それが「イスラエルの常套手段」であり、彼らの目的はパレスチナの主張に与させないことだと。

仮に本当にそれが正しいのなら、僕はどうしたらいいのだろうとも思った。

つまりこれは、お互いの意見を聞こうとすればするほどイスラエルに与する構造になっているということだ。イスラエルが何をしても、すべてパレスチナのせいにしておけば周囲は勝手に黙ってくれる。実際、僕も黙ってきた。

じゃあどうすればいいのだろうか、さっぱりわからない。さっぱりわからないことだけがわかった。

後半にイスラエルはアパルトヘイト国家であるという指摘があった。あまり考えてなかったが、確かにガザの封鎖は人種隔離政策に他ならない。それも、公共交通機関の席を区別するレベルの話ではない(これも十分酷い)。命を脅かす隔離だ。

たまに日本に人種差別はないと言う人がいるけど、ある。思いっきりある。朝鮮学校に対するものとかが典型例だ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4d77d64a4370881c2c91e5e0a8576710bdacf300news.yahoo.co.jp

差別は存在しないというのは、差別している側だけが言える特権なのである。

この本を読んで、やはり僕は第二次世界大戦を学ばなければならないということを再度思った。明らかな戦争犯罪がみすみすと見逃され続けている理由はそこにあり、そして日本も含めた列強はその精算をほんとのところ今もしていない。

精算したほうが良いのかはわからない。とはいえ、僕は学ぼうと思う。

*1:小学校が自由ではないのは教師という明白な権力があり、その権力が子どもの人権を阻害できるので、小学校が大嫌いという意見は変わらない。