Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

自覚のないイデオロギーの対立が一番怖い

tamuramble.theletter.jp

この記事を読んだ。

圧縮して書くと、OpenAIの先日の騒動はイデオロギーの対立から生じているのではという指摘である。まぁ、詳しくは元記事を読んで。

イデオロギーの対立

EAとe/accの対立はかなり影響範囲の広い思想的な対立だと思うけれど、もっと規模が小さい思想的な対立なんて山ほどあるなと思う。

ソフトウェア開発だと、アジャイルというものがキーワードで上がる。僕は昨今のアジャイルを取り巻く環境は宗教じみているというか、信仰であると感じている。

「宗教じみている」、「信仰である」などと表現すると現在の日本人にはネガティブな意味にとられる気がするが、僕はそうは思っていない。「自分はアジャイルは良いと思うので、良いと信じている」という人が多そうだなという意味である。

そこに根拠はあるようでない。別に根拠は必要ないとも思う。良いと思うから良いと信じてやる。まさに人間的な行動だ。それで良い。

念の為に書いておくと、僕はそのうちのひとりである。つまりアジャイルであるのが善であると無条件に信じている。

他にも僕は「サードパーティのライブラリはなるべく使わず基本的には自前でコードを書くべき」だと主張しているが、これは真っ向から「サードパーティのライブラリを積極的に使うべき」という主張と対立する。前者はGoとかを使っている人に多く、後者はRubyとかNode.jsとかを使っている人に多い印象だが、イマドキは状況は変わっているかもしれない。

これも、どちらの主張にも別に根拠なんてあるようでない。どちらも正しいと言えば正しいし、間違っていると言えば間違っている。適材適所とかケースバイケースという感じのことでもない。どっちを選択するかはそこにいる開発者たちで決めるべきだと思う。

とまぁソフトウェアの開発現場でもイデオロギーの対立ってのはある。もっと生々しい話だと、会社にいるとA役員はX派閥、B役員はY派閥でわかれてイデオロギーの対立をしているなんてこともあったりする。あるよね。ていうか、冒頭に引用した記事がまさしくそれじゃないの、という指摘をしているわけで。

自覚なきイデオロギー

ポイントは「イデオロギーであるという自覚がない」ところにあると思っている。

アジャイルって宗教じみているよね、という僕の前述の表現はもしかすると読者の一部からは反感を買うかもしれないと思いながら書いている。おそらくその中に正当な批判もある。

しかし「アジャイルソフトウェア開発宣言」というタイトルを見ればわかるように、これは宣言である。別になにか方法論を示しているわけではない。「価値をおく」、つまり何をよいとするかを決めているのだ。

agilemanifesto.org

言っていることは世界人権宣言が「法の下で平等であれ」と言っているのとレイヤーとしては変わらない。世界人権宣言は法の下の平等という概念を謳ってはいるが、法の下の平等を社会実装するための法の整備のHow Toは書いていない。

www.unic.or.jp

アジャイルソフトウェア開発宣言もそうで、こういうソフトウェア開発がいいよね、と宣言しているけどそのようなソフトウェア開発をどのように行っていくのかのHow Toはどこにも書いていない。

僕の書いている「いいよね」も、アジャイルソフトウェア開発宣言の「価値をおく」も、「すべて人は法の下で平等である」もすべてイデオロギーだ。程度の差はあれ。

自覚なきイデオロギーのもたらす対立

自覚があってのイデオロギーの対立でさえ結構大変である。三十年戦争しかり、ホットな話題だけれどもパレスチナ・イスラエル紛争問題もしかり*1

しかし、自覚がない場合はもっと厄介だ。普通に考えれば、単に溝が深まり続ける。コミュニケーションでは決着がつかないので、なんらかの形で実力行使に出ることとなる。

そして、実は自覚のないイデオロギーに支えられていていまの社会生活は成り立っている。資本主義も無限に成長するという信仰のもとで成立しているし、ソフトウェア開発の現場にいると些細ことから事業方針を左右することまでイデオロギーには山ほど出くわす。僕自身もすべてをメタ認知しているわけではない。

ただ、どうもこのように捉えてみると、自覚のないイデオロギーの対立がやたらと諸問題を引き起こしている気がしなくもない昨今だ。

僕はなぜかX(旧Twitter)のタイムラインで少子化の話題をよく目にするのだけど、正直もうイデオロギーの対立によるすれ違いにしか見えない。

ある人は資本主義イデオロギーのもとで生産年齢人口の継続的な増大が経済成長に不可欠である、という話をしているが、ある人(おそらく女性だろう)は女性の人権や経済的自由の希求というイデオロギーで話していたりする。このふたつはそれぞれの立場に立ってみればどちらも正しいんだけど、実はコンフリクトしているという状況にある。

このふたりがこのふたりの視点のなかで話している限り別にどちらも間違っていないのだけど、お互いの発言を自分の視点で見ているのですれ違いが発生しているな、と思う。

ところで、全く関係ないけど少子化自体は古代ローマでも起きたようなわりと普遍的な現象だったりする。文明化というか、要は人の命を大切にするようになると出生率は減る。これは別に近代以降始まった話でもなく昔からそう。あと男性のせいでもないし女性のせいでもない。大事なことなので一応言っておく。

例えばローマ市民とその周辺のゲルマン民族とかだと、生活基盤がしっかりしているのはローマ市民だが、出生率はゲルマン民族のほうが圧倒的に高い。ただその代わり戦争とかあると、ゲルマン民族はあんまり人を大事にしないので捨て身で攻撃をしかけてきたりする。だからお金は出生率と関係ないのは最近の話でさえなく昔っからそう。

なので僕は少子化自体は避けられる課題ではないと考えていて、バラマキ政策とかは別になんの成果も出ずに終わると思う。むしろ少子化する前提でこの社会をどうするべきかということを考えるべきだと思う。これが僕の少子化に対するイデオロギーなんだけど、そんな人が多数派だとはまったく思っていないのでXには書かない。

しかしXで喧嘩しているだけでも誹謗中傷とかは起きている。「イデオロギーで対立」しているのに「自覚がない」という状況は相当危険だなと思うし、それが組織の内部とかで起きれば本当に抗争になり、Xで起きれば相手を傷つける合戦になるほど危険な条件が揃っているわけだ。

そんな感じのことを日々思いながら生きているので、YouTubeやXで見る人々に「お前はなんにもわかってない」と言ってやりたいと僕の中のソクラテスがわめく。意図的か無意識か知らないが*2、まったくもって一面的なイデオロギーを内面化してものごとを断言している人の多いこと多いこと。

とはいえ、もし行動に移せたとして本物のソクラテスのように処刑されるのがオチな気がする。なんだこの話。おわり。

*1:念の為、宗教対立「だけ」ではないということは書いておかなければならないと思う。パレスチナ自治区とイスラエルの問題は、歴史的経緯を見ても当時の西洋列強による介入や、政治的な背景で起きた複数回にわたっての中東戦争といった要素を語らずに単にイデオロギーの対立だとみるべきではない。

*2:断言したほうが儲かるのは間違いないので、意図的でも不思議ではない。