Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

最近考えていること 2024年2月

人と付き合うかはイデオロギーが合うかが大事

イデオロギーが大事なんだなって思った。

僕は「〜〜な社会を〜〜な社会に変える」みたいな表現には違和感がある。たしかに社会は変わっているんだけど、自分の意図したように変えられると考えるのは大間違いというか、変えられないと思っている。

スティーブ・ジョブズは、

those people who are crazy enough to think that they can change the world, are the ones that actually do.

本当に世界を変えられると信じているようなクレイジーな人こそが実際に世界を変えている。

言ったらしいけど、僕はジョブズの言ったことをもじって言うならば、こんなふうに思っている。

世界は自分の力では変えられないのだ、と諦めた経験がなければ、世界を変えるための一歩を歩み始めることはできない。

プロダクトは人の行動を変えない

ソフトウェア開発をしていてまざまざと感じたことであるが、プロダクトは別に人を変えていないのだ。

なにを言っているんだと思われるかもしれない。お前はなにで文書を書き、どこに投稿しているのか。今日これから行く店の情報をどんなデバイスで手にしているのか。その時にどんなアプリを使ったのか。

そしてブログ記事を書くのにお前はまだAIを使っていないとでもいうのかとか言われるかもしれない。

そう、確かに生活にプロダクトは侵食している。そのプロダクトを手軽に使えて、それで生活習慣は確かに変わっているように見える。

一方で、これもまた事実として習慣がない人に習慣にさせることに対してソフトウェア開発者は常に無力だった。

だから、最初から習慣がある人がそのプロダクトを使って便利にやっている。しかし、プロダクトを使う習慣が身につかない限り、プロダクトの恩恵を得ることはない。本を読む習慣がある人はKindleやスマートフォンなどで本を読み、メモをする習慣がある人はiPadなどでメモを電子保存できる。文書を書いたり自分の思考を整理したりする習慣のある人がChatGPTを使って自分の文書や思考の整理の壁打ちをAIに手伝ってもらったりする。映画やドラマを見る習慣がある人がNetflixを頻度高く開く。英語の勉強にモチベーションがあり毎日コツコツと努力する習慣がある人だけが、毎日英語学習アプリを開くことができる*1

一回使えば便利だとわかるから!と言われて使ってみて、本当に一回しか使わなかったプロダクトがいくつあるだろう。

別にBtoB SaaSでもそうだ。具体例は出さないが、色々と仕事しながら思うことがあった。

社会を変えるとは人間の行動を変えること

社会を変える話に戻す。行動が変わらないと社会は変わらないと思っている。なぜかというと、人間社会は人間の行動の総体だからだ。人間がどのように行動するかで政治が変わり、法律が変わり、それによって精神が変わる。

論理で説得することでは人の行動を変えられない。タバコや酒が体に悪いと知りながら飲む習慣を止められないとか、毎日規則正しい生活習慣で過ごし、適度な運動をする習慣を持つほうがよいと知っていてもできないのは人間として普通な状態である。

行動を変えるのは理屈ではないのだ。

ではその行動はどのように変わるのか。僕の現時点での答えは論理でもないし、プロダクトでもないということだ

自分の職業はソフトウェアの開発者である。つまりソフトウェアの開発者は社会を変えることはできない。

余談になるが、では行動を規定するものはなにかというと色々ある。自然環境や気候の条件、言語、多様性、法律、などなど。

こうしたさまざまな諸条件があって、いまの自分たちの「常識」とか「慣行」とかが存在している。僕が意図して社会を変えるとか無理って思っているのはこれが理由だ。写真を共有できるサービスを作ったら子供が自殺するなんて、作る前に予想した人はいたのだろうか?

イデオロギーが同じ人と一緒にいたい

さて、社会の話に飛び火したけど、最初の話に戻る。

この話は論理的なようで別に論理的でもないし、「社会を変えられる!」と心の底から思うことを否定するものでもない。実際、社会を変えられるのだと思うからこそ、そう思い込めるからこそ実現したこともたくさんあるだろう。そしてジョブズはそういうタイプだったのかもしれない(詳しくは知らない)。

僕はそういうタイプではない。そして僕は個人や組織が社会を意図したように変えられると思っていないし、そんなに変わるべきでもないと思っている。

これは信念である。根拠もなく信じている。そして僕は根拠もなく信じていることこそが人間が一番変えない信念であるとも自覚している。

僕は「社会を変えられないので、自分がどう行動するか」を考えたい。社会が先で自分があとなのだ。

だから、「社会を変えるために、自分たちの行動を決める」人とは一緒にいられないと思う。僕自身、社会を変えられないと思っているだけじゃなく、大事なものの優先順位が違う。

このふたつは仮にやっていることが同じであったとしても、元々のイデオロギーが違うのですれ違うだろう。

僕は友人に「勝てない試合をしない」と形容されたことがある。

その振る舞いの根幹はここからきている。自分の存在のありなし関係なく諸条件は決まっているので、その諸条件に自分が合うか、あるいは自分がどう合わせるかを考える。順番は常に環境が先、自分が後なのだ。

そしてこの信念に照らし合わせれば、自分とは異なるイデオロギーの人とは一緒にいるべきではなくなる。与えられたゲームルールが既に不利なので、そのゲームはしないほうが良いとなる。

ということで、イデオロギーが一緒の人といたいなと思っている。友人とかだとそこまで気にしないと思うけど、仕事とか家庭生活においてはここがミスマッチだとお互いに相当厳しそうだなと思う。

*1:僕が例外として挙げたいのはInstagramくらいだ。Instagramは、Instagramがあることによって、ある程度の人間の行動や価値観が変わり、それはInstagramの外の世界まで波及した。具体的にはレストランの内装がずっと重視されるようになったりした。