Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

性別でマイノリティになる感覚

少し前に、男女の比率が 2:8 くらいだった会に参加した。

事前に予測できたし、別になんということはないはずだった。だけど、僕は最初から最後までずっと落ち着かなかった。

男女比以外にも落ち着かない理由はあった。だけど、その細かいことより、明らかに自分は性別という区切りでは少数の、異質な存在であるように思えた。

断っておくと、別に僕は誰かから不快なことを言われたわけでもないし、その会の主催者にも参加者にも全く落ち度はない。改善を求めているわけではないし、むしろそのような主張だと取られることは心外である*1

ただそれと同時に、僕はやっぱりその場に「普通」では居られなかったのもまた事実なのだ。


そうか、この場ではマイノリティだなと思った。

マイノリティであることには慣れていたつもりであったけど、いつの間にか自分がマイノリティであると実感する時間がまた少なくなっていたらしい。

普段の仕事では男性社会に生きている。会社の上層部*2は男性のほうが多い。ソフトウェアの開発者という仕事に就いているのは男性が多い。特に僕が担当するようなバックエンドエンジニアは男性が多く、とてもじゃないがダイバーシティがあると言える状況ではない。

これは弊社だけの問題ではない。日本社会全体にその傾向があるため、どの会社も似たような状況である。

話を戻すと、仕事場において自分が男女のマイノリティになることはほとんどない*3。本当にびっくりするほどない。自分ひとり、女性2人以上の状況になったことが数回あるが、そのときも落ち着かないという感覚を覚えた。

そう、この間参加した会と全く同じ感覚を、僕はかつて持ったことがあった。機会が少なすぎて以後思い出されることがなかったけど。


逆の立場に立って考えてみると、この僕が感じている居心地の悪さのようなものを、僕がマジョリティになっているときに感じている人がいるのかもしれない。という至極当然のことに今更気づく。

かつて僕は自分の姉が進路選択で文系を選択したことを訝しんだ、というエピソードを書いたことがある。そしてそれはバイアスのせいで、自分も理系に進んだのはそうしたバイアスがあったからではないかと。

515hikaru.substack.com

僕は中学校時代まで、文学部に行きそうな奴だった。歴史、特に近現代史が好きだし、中学校時代から大人も読めるような新書で歴史を学んでいた。文学作品も好きだ。数学科という道を選んだことに後悔は全くないが、数学科を選んだことでたくさんの別の学びの機会もまた逸していたと気づいたのはここ数ヶ月のことである。

そしてその意思決定に、自分が学びたいという欲求のほかに居心地の良さなるものを付加できたらどうだろう。その意志は、他ならぬ自分によって強化されるのではないか。

逆に、自分に学びたいという欲求があれど、居心地の悪い日々を過ごすのであれば、その道を選ぼうとする人は減るのではないか。


別に性別以外ではマイノリティになることはよくある。一方で、性別でマイノリティになることはやっぱり珍しい。仕事をしていても、僕がやるようなことはだいたい何していても男性はそんなに少なくない。

でもなんか、(実際にはもっと複雑だけど)2 つの属性にぶった斬られて、そこで少数になっているドギツさって、自分が考えていたよりもずっと残酷なものではと思った。

*1:普段は読者にどう読まれてもよいと考えているが、ここに関しては譲れない。会自体は素晴らしいものであった。

*2:どこで切り取るかにも依るが。

*3:話を簡単にするために男女と表現しているが、それ以外の性自認の方もいるかしれない。