Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

最近考えていること 2024年6月

引越し

引越しをすることになった。たぶん。たぶんといっても審査に落ちる可能性があるくらいで、僕が積極的に断ることはおそらくない。

ということでしばらくは忙しいと思う。

物質的な豊かさと精神的な充足の関係性

先月は金融に関する話を珍しくした。

blog.515hikaru.net

実はテーマを金融に掲げて考えていたのではない。本当のテーマは、物質的な豊かさだった。

ここでひとつ、今日の話の鍵を書く。

経済学は人が物質的な豊かになることに関心があるが、精神的に豊かになることには関心がない

少なくとも僕はこう考えたし、おそらく反論する人はあまりいないと思う。知らんけど。

さて、このように認識してしまえば当たり前だけど、案外だれも教えてくれていないと思う。

経済って言葉はニュースでも出てくるし学校でも習う。学問の名前の中では広く使われているほうだろう。

でも経済という言葉の対象を教わったり考えたりする機会はあまりないのでないか。

その上、経済学の対象はモノですと強調して教わることもまた少ないのではないだろうか。

少なくとも自分は、橋爪大三郎さんが出演している a scope を聞くまで知らなかった。

open.spotify.com

そして再び当たり前なことを書くが、貨幣(お金)は経済学の対象である。

あらゆる資産——土地、住宅、株など——は経済学の対象である。

では経済学の対象ではないものはなにか?

それは例えば、人の幸福である。人が幸福になるための答えを、経済学は探してはいない。

もちろん、人が幸福であるかどうかと物質的な豊かさとにはなんらかの関係はあるだろう。

自分の考えとしては、物質的な豊かさは人が幸福であるかどうかとの必要条件であって十分条件ではないと思っている。が、もちろん学術的に研究したわけではない。

精神的な充足は貨幣との交換では得られない

経済学は物質、もっと言うと人間の身体の外側にあるものを対象としている。

僕がこれを強調しているのは、この社会では物質的な消費でもって精神的な充足を手にいれるとうたう商品があるからだ。

それは例えば保険という名前だったりする。それは例えば年金という名前だったりする。

いわゆるお金で安心を買うという行為だ。

そしてこれまた書いておくが、僕はこれらの商品を否定していない。僕自身、保険に入っていないことをちょっと後悔し始めたりしているし、年金もここ何年か継続している。

僕が否定しているのは、精神的な充足をお金で手に入れようという行為そのものにある。

本当に何度も書くが、経済の対象は物質である。

そしてお金はあくまでモノと交換することしかできない。

そのモノが与えてくれる精神的充足は、それがどんなモノであれ大して多くはない。

家族や恋人との結びつきや、自己鍛錬で出す成果に勝る喜び(精神的充足)を僕は知らない。そしてそれらは、どれも(とても残念なことに)貨幣とは交換できない。

物質的な欲望は精神的欠乏の顕れ

ここから先はさらに僕の放言になる。

周囲やSNSなどで見てきた範囲の人間に対して観測をした結果、僕が勝手に思っていることがある。

それは、物質的な豊かさを追い求める傾向にある人は、じつは精神的に満たされていないのではないかということだ。

めちゃくちゃ失礼なことを言っている気がする(し、おそらくある程度そうだろう)。

第三者のことばかり挙げてもバツが悪いので、自分も例に挙げる。

僕が精神的に飛び抜けて満足したとき。適切な表現が思いつかないけど、「エクスタシー(絶頂)」みたいな瞬間が何度かある。それは、自分が他人の欲望を満たしたと実感できたときだ。

ここで欲望と言っているものは物質的なものではない。あれが欲しいというのを代わりに買ってあげることではない。

僕が満たしたいのは誰かの精神的な欠乏だ。他人のしかもディープな話が絡むので具体例は書かないが。

この「エクスタシー」を経験してしばらく、僕は物質的な欲望が皆無になる。いまがまさにそう*1なのだが、欲しいものがまったくない。

別にお金を使わないわけではない。しかし例えば、明らかに間食が減る。酒を飲む頻度が減る。

それはなぜか。精神的に満たされているからだ。いまの生活に満足しているのに、これ以上物質的な豊かさなど別に必要ないのだ。

逆に、飲みたくもないのに酒を飲む、食べたくもないのに食べるといった行為をしているときはやはり満たされていない。孤独を感じていたり、やりたいことができていなかったり、虚無感を抱えていたりする。

自分だけを例に語るのはいろいろと論証としてザルだが、自分だけを見ていてそう思っている。

貨幣に変えられないものの重要さ

物質的な豊かさは個人にとってとても重要なパートだ。重要なパートだけど、あくまで一部でしかない。

物質的に豊かになれば、幸福になれるわけでもないし、安心できるわけでもないし、人生に満足できるわけでもない。

不安に対処する、リスクヘッジをする。そういうことが貨幣を使うことでできる世の中だ。

しかし、不安に打ち勝って努力し乗り越えること、リスクがあると知りながらそれに向かって進んでいくことは貨幣では代替できない。

そして本当は、貨幣では実現できないことにこそ自分の人生の充足はあるのではないか。そんなことを考えている。

*1:別に直近で「エクスタシー」を経験したわけではないんだけど、まぁそういうことにしておく。