Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

ソーシャルメディアと国家権力の違いってなんだ

各種ソーシャルメディアや YouTube など、米国の "プラットフォーム" と呼ばれている場では陰謀論などのコンテンツは強制的に削除され、日の目を見ることはない。

www.bbc.com

ワクチンを代表とする医療情報に関する disinformation*1 なども検閲の対象だ。

ところで、僕は東京都内に住んでいて、大きな駅に行くことがある。大きな駅は人の往来も多いので、たまにマイクを持って演説している人を見かける。

演説の内容は様々だが、YouTube だったら削除される内容のこともある。

大々的にやっているので、許可を得てやっているのだろう。公道というプラットフォームを利用するために警察当局の許可を得て、disinformation を流している。

気になることは色々あるが、僕がこの記事で焦点を当てたいのはひとつだ。「ソーシャルメディアではダメで公道なら良いことにどんな合理的理由があるだろう?」


こんな記事を読んだ*2

マスク氏は自らを「言論の自由の絶対主義者」と呼ぶ。投稿内容の監視が厳しいとの不満がツイッター買収の出発点だった。言論の自由の重要性は言うまでもないが、自由は「何でもあり」を意味しない。

投稿監視のたがを闇雲に緩めれば社会に害を広げかねない。マスク氏は28日、コンテンツ管理を監督する組織の新設を表明したが、「仲間内」の人選なら実効性は乏しい。

www.nikkei.com

僕の意見としては、ひとまずは現状で構わないと思っている。YouTube が陰謀論をリコメンドしてくるのが当たり前に良いとは思ってないし、警察当局が表現の自由を侵害するのもそれはそれでよくないと思う。

しかし、この差がなぜ生まれるのか微妙にわからない。民間企業と国家権力との差?

なぜソーシャルメディアやデジタルコンテンツの disinformation はダメで、人前での演説は良いのだろうか。後者のほうが効率が悪いから?

同じ(一応)民間企業でも、もし日本で郵便を検閲されていたら大問題だ。しかし、ソーシャルメディアには投稿を監視せよという。この気持ちの違いはどこからくるのだろう?


もちろん、「投稿監視をしなければ広告売上が下がる」みたいなロジックが働くのは理解できる。誰が広告出すんだよこんな場所って思われたら終わりだ*3。株式会社として売上と利益を追求するのが本分なので、投稿監視をすることが売上につながるという話なら至極真っ当だと思う。

一方で投稿監視の強化はプラットフォームの権力を強める。Google の検索エンジンという権力が SEO という概念を生んだ。ソーシャルメディアのアルゴリズム化が進んだことで、アルゴリズムに評価されるための投稿をする人もたくさんいる*4

Meta は機能の変更をするときに慎重に A/B テストを重ねてその機能の変更がどれだけユーザーの行動に、そして自分達の収益にどれほど影響があるかをかなり精緻に分析している。自分たちのパワーの行使の仕方を間違えれば、それが自社にとっていい方向にも悪い方向にも容易に転がることがよくわかっているからだろう。


僕もひとまず今は投稿監視をある程度した方が良いと思っている。しかし、今のままで未来永劫いいとも思っていない。

投稿監視の強化はユーザーの行動統制に他ならない。結局それはソーシャルメディア自体の衰退を引き起こすし、行き過ぎた規制は誰もがただ単に不幸になる結末しか待っていない気がする。

また検閲を訴える人も内容がまちまちだ。命に関わること、陰謀論に関わることはダメというが、僕の知る限り NG とされているのはアメリカの話ばかりだ。日本の参政党は普通に Twitter のトレンドにあがってたけどそれはええんか?

だったらなんでも投稿していいじゃんとはならないけど、何を以って NG とするのか、その判断をどんな理由で誰がしたのか。もう少し開示されているべきなのではと思わなくない。

*1:いい日本語が思いつかない。人を混乱させたり、分断させたりする意図を持って流される偽情報のことだ。

*2:コメダで読んだ。コメダには新聞がある。日経新聞はコメダに行った時にたまに読んでいる。

*3:なお Twitter は既に思われていることには目を瞑る。

*4:最近 Twitter で冒頭に強い感情やキーワードを差し込むツイートが多い。人間に読ませるために最適化された行動だなと関心する。アホくさ。