金融の「ロジック」
ずっと金融リテラシーが高いとか低いとかの意味がわかっていなかったのだけど、最近になってやっとわかってきた気がする。少なくとも、3年前の僕よりは今の僕の方がわかっていると思う。
金融の話にはどうやら誰も教えてくれない大前提があるっぽいと僕は感じていた。
僕の知り合いに何人か、かなり積極的に投資をしている人がいる。具体的には金融商品や不動産の購入をかなり積極的に行っている人がいる。
僕は彼ら彼女らの話を聞いていて、ずっと違和感を持っていた。なんか「生きている世界が違う」感覚というか、「そもそも基にしている常識が違う」ような気持ちを持っていた。昔は僕が地方出身だからなんじゃないかとか、庶民だからじゃないかとかいろいろ理由づけしようとしたが、どうやら全部違いそうだと思った。
この違和感の原因が、やっとわかってきた気がする。
これは僕の観察なので、世の中一般で言われていることと同じかはわからない。あと正しいか間違っているかもわからない。その前提で読んでほしい。
金融の対象範囲
まず、とてもそもそも論を言おう。この金融リテラシーとやらの対象範囲は、貨幣と交換されうるものに対する見方のようだ。そして重要なのは、貨幣と交換されうるものすべてに「共通して適用される」ようだ。
つまり、会社を経営することや、個人で不動産投資とかNISAで投資をすることとか、普通預金で現金を保管するとかいろいろなお金を扱う場面があるが、このどれもが同じロジックで動いているという強力な前提がある。
お金を使う活動であれば、労働力を買おうが、土地を買おうが、飲料品や食料品を買おうが、金融商品を買おうが、すべては同じような論理——貨幣にまつわる理屈——が動く。金融商品は金融のものだから金融のロジックで動くのではないのだ。
全部根底は同じでHowや表層が違うだけなのだが、この前提がない僕のような金融リテラシーが低い人は、過去からの習慣でしか物事を捉えられない。
本当は同じお金で、同じロジックで動いている。でもそのような認知はないので、同じルールが適用され得るとそもそも思っていない。だから、株式会社が高いもの(人材とか死ぬほど高い)を購入するのは投資だと言いながら、個人が高いもの(不動産とか)を買うときは消費だと捉える。事実、僕はそう思っていた(し、たぶんまだ今もそう思っている)。
普通預金は親がやっているからいいけど投資はしたことないからダメ、という人間が生まれるのはきっとこのような背景がある。株式会社が投資をするのは「会社のお金だから」OKだが、自分のお金は「自分のお金で別物」だから投資はNGと思ったりする。
リスク
次の前提として「リスクとはなにか」がそもそも違う。いや、実は違わないんだけどリスクに対する理解の仕方が違う。
自分の資産が減るかもしれないことをリスクととらえるのは正しい。しかし資産が減ることを「額面が減ること」と捉えると間違いになる。
昔の僕も含めて、「額面が減ること」をリスクだと思い込んでいる人は結構多いと思う。しかしこれは間違いだ。
例えば、10年間、100万円を普通預金をしていたらその額面は(自分で使わない限り)減ってはいない。ほとんど増えてもないだろうが減ってはない。しかし、実はいまは円安・物価高なので普通預金程度の金利では思いっきり損をしている。つまり額面は減ってないけど資産は減っている。
だから普通預金をしていても、タンス預金をしていても普通に金融的なリスクは抱えている。額面が減らないことは確かにリスクが低いことにつながりやすい(言うて1ドルが360円とかにはなっていないので、資産減少としては多くはない)、
金融という文化
僕はあえて上ではロジックとかリテラシーとか呼んできたが、どうも本当は「金融の文化」とでも表現すべきことなのではないかという気がする。
どういうことかというと、金融の「ロジック」と皆が呼んでいそうなものは、このようにしたほうが資産が増える(減らない)のだという信念をもとに作られている気がする。
そう、実は論理的思考のように見えてただの信念なのではないかと思う。その仮説のもとでは合理的な場合も多いのだが、その仮説設定自体は合理的ではない*1。
だって未来は誰にもわからないのだし、事実、歴史を見ると恐慌や市場閉鎖は起きうるわけだ。でもみんな資産運用を頑張っている。恐慌が起きる前提で資産運用をしている人や、米国の市場が閉鎖する前提で資産を運用している人は、いるかもしれないけど稀有な例だろう*2。
僕は数学科出身だからか、ロジック(論理)というと誰しもがそのルールを体得すればまったく同じ結論に辿り着けるかのような感覚を持つ。しかし、実はシンプルに数字を扱い損益に執着するような金融の枠組みでさえ、実はその「ロジック」はみんな同じようなものを使っているようにみえて全く違う結論に辿り着きうる。
例えば日本で考えると、東京に在住している人が家を買う戦略と、おそらく人口は増えない場所で家を買う戦略は全然違うはずだ。土地の値段が上がるかもしれない土地を探すのと、どうせ上がらないからいま安いところを買う戦略はどちらもそれなりの合理性がある。
前者は投資の理屈にのっとっていて、後者は消費の理屈にのっとっているように見える。このとき、前者のほうがレベルが高いような気が僕でさえするが、それは本当にそうなのだろうか?前者のレベルは高いとなぜ断言できるのか、あるいは後者のほうがレベルが低いとなぜ断言できるのだろうか?
僕にはどちらの自信もない。
何度も言っているけど、自分は金融リテラシーとやらが高くない自覚がある(だからこそ、こんな初歩的なことを書いているのである)。だからこの記事に書かれていることは100%間違っているかもしれない。
でもやっと、自分がなぜ金融のことをわからないと感じ続けているのかがわかった気がする。これはその「ロジック」のもとで行動をさせられないと身につかないよ。