Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

論理的に考えて、非合理な意思決定をして、感覚的に生きる

ミクロ経済学の前提で人は同じものを買うなら安くしたいと考えるみたいな話がある。しかし、現実には同じ場所で同じものが違う値段で売っていることはないから、場所が近いからという理由であえて高く買うことはままある。Amazon だと翌日以降に来るのでいま欲しいからコンビニで買うということもある。

こういう意思決定は「価格」という観点でだけ見ると非合理だけど、それ以外の要素があるので一概に非合理とはいえない。

仕事でもそういうことはよくあるのではと思っている。

特定の立場から見ると非合理にしか見えないことが、別の立場からはすごく納得がいく話だったりする。知識量の差とかでも起きる。


ところで、僕は論理的に考えるとこっちがいいな、と思う方を選ばないことがある。

なんでかというと、自分でもよくわからないがそちらに惹かれるのである。第六感としか言いようがない。

人生におけるまぁまぁ重要な意思決定を、全く論理的ではない理由でしていたりする。高校とか文理選択も今までの自分の興味や方向性とは真逆のものを選んだ。転職を決意したのは Wantedly のスカウトもらった瞬間だ。全くもって正気の沙汰ではない。

言い訳をすると、惹かれないと重要な意思決定なんてできないのだ。理屈じゃなく感情とか感覚で決めないと、論理とか情報とかではその不確実性を超えるための勇気を振り絞れないのである。


非合理に見える意思決定には実は合理的だったり、本当に非合理だったりする。

数学という学問をやってきて、プログラマーとかいう仕事をしている。めちゃくちゃ毎日論理的に考えている。だけど、僕が最後に重きを置くのは感覚なのだ。

実際、論理的な何かを突き詰めても、結局自分の真価が発揮されている感じがしない。人間ってもっと感性とか感覚に従ったほうがいい感じのパフォーマンスを出せるんじゃないだろうか。自分の真価がなんなのか知らんけど。

人間って論理扱うの下手だし、感覚で生きて行った方がいいのではといういつもの話になってしまった。