Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

自分しか自分に厳しくできない

厳しく教えるのが難しい時代、自分で自分のことを教育しないといけない時代に入ってきた。自分は小、中、高となかなかそうは思えなかった。自分には厳しい先生がいた。今を生きているみんなには、それが大切なことと覚えておいていってほしい

言わずと知れたスーパースター、イチローさんの言葉である。

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大学時代はいろんな人に会った。数学の話をしたときに和気藹々と楽しく話すこともあったし、大半はそうだった。

一方で、めちゃくちゃ厳しい言葉をもらったこともある。それがよかったとは思わない。いま思い出しても暗澹たる気持ちになることもある。

とはいえ、もし厳しい言葉をもらわなかったら、自分はいまみたいな人生の楽しみ方をできなかっただろう。よりよい意思決定の追求もしなかっただろう。甘えたまま生きていたはずだ。

さも当然のように高いレベルを求められ、箸にも棒にもかからぬ自分の無力さと愚かさを実感する。そんな経験は、今の時代はどれほどお金を払っても買えないのではないか。

自分で自分に厳しくすることはかなり難しい。僕も日々、甘えまくって生きている。そして学生時代の当時も甘えていたんだ。無自覚に。そのことに気づかせてくれたのは、言葉を首肯することとは関係なく感謝している。


もちろん、まだ大学という場には局所的には残っている空気かもしれない。

しかし、職場には微塵もない。今まで経験したどの会社も、数学科時代の自分だったらぶっ飛ばされていた品質の発表をして、ありがとうだのためになっただの感謝される。

この程度の努力でいいのか。会社員になった当初、そんな感想ばかり抱いていた。

そのせいか、当時は他人にも異常に厳しかったと思う。ていうか今も内心は思っていることがいろいろある。さすがに具体例を出すとただの陰口なので書かない。

しかし、口に出すのは思っていることの 1/10 未満という感じだ。

厳しくしないことが良い方向に導くばかりでもないとは思う。しかし、会社は学校ではない。


誰かに厳しくしてもらった経験は誰かに優しくしてもらった経験よりも鮮烈で、強く人生に影響する。よくも悪くも。

考えなしにやれば悪い方向に影響を与えるので、厳しくするのをやめようという時代の空気なのだろう。そんな空気も正直生きづらいなと思わなくない。

自分が何をしていても、正直いま手応えがない。やれることの範囲で精一杯やっているつもりだが、全く十分ではない感覚がある。

じゃあ誰かから厳しくされれば十分になるのか、というとそうでもないと思う。一方で、僕は十分に自分に厳しくしきれていないように感じる。

確かに全く傷つかない日々だけど、なんか雲を掴むよう。