Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

僕にも夢はあるが、その夢を語れるほどの人にはまだなっていない

前に、僕の近くには「神」がいるんですよという謎の記事を書いたことがある。

tak428k.substack.com

それが人間であろうがモノであろうが偶像であろうが、その人の究極の拠り所となっているものがなんらかある。それがその人をなんらかの確信に至らせるものであり、それを僕は「神」と呼んでいる。

上記の記事で、僕は僕を信じているし、僕は信心深いとも書いた。けれども、とはいえ、本物の宗教家のように信心深いわけではない。

だから、キング牧師の演説を見ていると、本当に胸を打たれる。見るたびに号泣している。

youtu.be

この大観衆の前で、とんでもない差別や迫害を受けた人たちに語りかけるキング牧師の姿に、最近の僕はいろいろなものを見ている。


正しいことをしようと思っている。いや、正しいこととはなにかなんて誰にもわからないし、それがわかると思えるほど僕は傲慢じゃないつもりだ。

それでも僕は正しいことをしたい。

もっというと、僕は人生でひとつ「ダサいことはしない」というルールを設けている(ダサいことはなにかは僕が決める)。正しくないことはダサいことに含まれる。だから正しくないことをしないししたくないと思って生きている。

しかし、現実にはさまざまな困難がある。僕もそれを知っているし、いままさに挫けそうになったりしている。

だからこそ、その現実の困難に打ち勝って、「私には夢がある」と演説し、実際に社会を変えたキング牧師の姿に敬服するのだ。

自身や家族が命の危険にさらされても、仲間が殺されても、大統領に敵意を向けられても、非暴力活動をやめなかったその姿に。


僕にも夢がある。

毎週、価値ある成果を届けられるソフトウェア開発チームをこの手で作り上げること。

そして、たゆまぬ改善と努力を惜しまず続けて、素晴らしいソフトウェアを世に届けることだ。*1

こんな夢を掲げているのに、そして「君が質の高いソフトウェアを届けることは誰にも止められない」*2と知っているのに、気がつくと妥協して、気がつくと諦めている自分を見つける。

そのたびに、まだ自分を信じきれてもいないし、やはり信心深くもないんだなと思ったりする。

別に偉人になりたいわけでも、社会を変えたいわけでもないが、自分もまだまだ修行が足らないと日々思うこの頃。