Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

イマを生きることについて

今日、実家と初めてビデオ通話をした。今まで実家にはそこそこの頻度で電話をしていたが、顔が見えるだけで母親のリアクションが違ったので、僕は特に何もしてないけど親孝行をした気持ちになれた。ありがとう Zoom。母親が iPhone を使っていたら Facetime ができるからもっと簡単なんだけど、とは言わないでおいた。

テクノロジーは偉大だと改めて思った。最先端とまではいかないが、自分もそのテクノロジーを発展させていく開発者のひとりなのだと思うと、改めて襟を正す思いだ。最近開発者としてのアウトプットはほぼゼロに近いけれど、この大 DX 時代(要出典)の発展にさらに寄与していかなければなぁと思ったりする。

僕のイマ

そんなこんなで、イマを生きるということについてこの正月は考えていた。別に何か回答があるような思考でもないのだけど、近所の川沿いを走りながら考えていた。

改めて自分の置かれている状況を鑑みると、僕は案外楽しくやっている。明日から仕事だけれど、休み明けだぁいやだなぁという気持ちよりも次は何をしようか、何ができるだろうかという気持ちが先に浮かぶ。会社の発展が(たとえ局所的だとしても!)日本の発展に寄与できると少なくとも今は心の底から信じることができるし、そこに参加できている自分を誇りに思っている。

プライベートでは運動を始めて、体力や時間を消耗するかと思いきやむしろとても元気になって驚いている。確かにそれらで可処分時間の量は減ったが、可処分時間の質は明らかに上がった。やりたい、と思っていたことをやることができるようになっている。文章にすると当たり前だけれど、今までの自分はやりたいはずのことを先送りにしまくっていた。運動の習慣と『時間術大全』のおかげである。

とはいえ前にも書いたように迷いや悩みが全くないわけでもない。ちょっと現金を温存しようか、と思って最近はメルカリで小銭稼ぎをしていたりする。本当にお金が足らない、という状況になったら副業を探すとか、もっと給料のいい会社を探すとかしないといけない可能性がある。

だけれど日常生活でストレスをあまり強く感じていない、というのは事実だ。毎日毎日、やりたいことをやれるだけやっている。ちなみに今日やると決めたことは「夕食は自炊すること」である。

社会のイマ

一方で社会のイマといえば、僕が見たものだけでも、ソーシャルディスタンスを保った紅白歌合戦、歓声のない箱根駅伝、都県知事が緊急事態宣言を要請、などそんな感じです。要するに事態は現状維持どころかひどくなっている、改善に向かう理由がないと見ている。

この状況は別に驚くようなことではなくて、この冬の間に緊急事態宣言を出す出さないという状況に追い込まれるのは 11 月の始めからわかっていたので、とうとう来たなくらいの感覚です。年末まではきっと(政治判断で)宣言は出さないだろうと思っていたので、変に2か月前の自分の予想の精度が高くて驚いている*1

そんな状況下で、生きていかなきゃいけないんだなぁと改めて思う。

僕のこれから

自分はいつも通り運動して仕事をしてブログを書いていく。良くも悪くも、別にやることは変わらない。だってそれしかできることがないから。

社会がこれからどうなるかは正直あんまり興味もなくて。ニュースを見ていても、SNS を見ていても、結局無意味にいろんなことに心を揺り動かされて、疲れるだけ。だったら距離を取ろうと思ったというのは一か月半くらい前の話。

僕はこれからも元気に生きていこうと思う。そのための下準備を、この 2 か月ほどしてきたのだと思うことにした。それに何より元気で生きていくことしか、いまの自分にはできない。

明日からの仕事も、気を引き締めて臨みます。新年、さっそくスタートです。楽しみですね。一昨日も言いましたが、いい 1 年にしましょう。

*1:せっかくなら記事にしておけばよかった。どこかには書いた記憶があるんですが見つけられない。