Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

パンデミックと2021年とわたし

お題「#この1年の変化

そろそろ世界がめちゃくちゃになってから 1 年くらいになるらしい。そうか、もうそんなになるのかという想いとまだ 1 年しか経ってないのかという想いの両方がある。

この 1 年、何も思わずに生きられた人はほとんどいないだろうし、言いたいことは山ほどあるなんて人が大半なんじゃないだろうか。

僕自身もいろんな気持ちがある。行きたいと思っていたイベントがなくなったし、やりたいと思っていたことが始められないでいる。逆にいい風に変わったこともある。自分と向き合う時間が増えたし、自己研鑽に使える時間も増えた。

ただ、やっぱりどうにもならないことがいくつかあって、この暮らしはいつまでもは続けられないなと感じている。

新しい出会いがまるでない

今まではなんだかんだいって、新しく人に会うということがあった気がする。勉強会やカンファレンスで出会ったりだとか。そしてそういう人との会話で新しいことを知ったり、というシーンがあった。

今は状況が状況で、新しい出会いなんてものが皆無だ。安心してできるコミュニケーションはオンラインでのコミュニケーションくらいだが、それが成立するのは互いを知っているという前提がある場合がほとんど。Web 会議が初対面というのは仕事の文脈くらいでしかない。この 1 年、仕事以外で新しい出会いが全くない。

そして新しいことを始めたい、と思うきっかけは他人から与えられることが多かったりする。新しい人との出会いがない以上、新しいことを始めにくい状況になっているように思う。

貯金を切り崩して生きている感覚

パンデミックと米大統領選とで毎日のように揉めている SNS に嫌気がさしてあまり見なくなった。その結果すごく暇になったのでいろいろと新しいことを始めた。

続いているものもあるし、やめてしまったものもある。やめてしまったものは、何が正しいのかよくわからないのだ。例えばヨガを少しやってみたのだけど、コーチがいないし、教えを乞おうにも誰もいない。インストラクターの動きを見様見真似でやってみて、動きくらいはできている気がする。だけど呼吸が大事と言われても何をポイントにすればよいのか動画で見てもよくわからない。

一方で英語の勉強とか、今までやったことがあるものを少し方法を変えたり教材を変えたりして続ければいいものは続いている(効率が良いかはおいておいて)。なんとなくやり方を知っているからだ。

こうして考えると、今まで自分が知っている人との間でコミュニケーションをし、自分が今までもできていたことの延長でしか物事をしなくなっているように思う。それが、自分のこれまで培ってきた人生における貯金のようなものを切り崩して生きているような感覚がする。

そのうち貯金も底を尽きて、自分が空っぽになってしまうんじゃないかという不安がどこかにある。

でも生きている

じゃあどうすればいい、ということに僕は答えを持っていない。

ただ確実に言えるのは、僕は不安には思っているけど楽観もしているということだ。パンデミックから 1 年経った。1 年、本当に長い 1 年をなんとか生き延びた。案外1人でも死にはしないということがわかった。パンデミックにおいて1人というのは強みになるということもわかった。

きっと僕は生きていける。別に根拠はないけれどそう思っている。今年でケリをつけるか、来年、再来年まで持ち越すのかはわからないけれどいつかはこの騒ぎも収まるだろう。そのときまで生き延びることさえできればどうにでもなる。

今はそう思っている。