社会、想像してた38倍くらい下ネタが多くて驚いたのを思い出した。 “飲み会の場でも技術的な話題は交わされず, 風俗に行ったときの話などレベルの低い会話がなされていたことは非常に悲しかったです.” / “大企業の技術系インターンシップに参加した - Alice in the Machine…” https://t.co/VWWAe1fjjD
— やがて労働者になる (@515hikaru) 2019年4月29日
別に技術の話しなくてもいいけど、たかだか数回しか会ったことのない人から風俗行った話をされても全く聞きたくない(興味を持つどころか不快である)というのが個人的なお気持ちですね。
— やがて労働者になる (@515hikaru) 2019年4月29日
バズる、というほど拡散はされていないのだがそれなりの反響があったらしい。ちなみにツイート主は当日ずっとスマブラをしていたので、なんかたくさんRTされているなーと気づいたときにはすでに大方収まっていた。
人の書いた文章にとやかく言ったのが広まるのはなんかよい心地がしないので、ここでこのツイートたちの背景を軽く書いておこうと思った。内容は繊細なテーマなので書くのに時間はかかると思うけれど、軽い気持ちで書いている。また、わたし自身は大企業のインターンに行ったことも大企業で働いたこともないし、そういう意味では引用元の記事とこの記事は全く関係ない、別のテーマを扱っている記事である。
ちなみに当方は26歳独身男性である。
似たような経験談
とある日、ある人が風俗に行った話を聞かされた。それもランチタイムで、お好み焼きを食べながら聞いていた。どんな顔をしていればいいのかよくわからなかったので、とりあえず黙々とお好み焼きを口に運んでいたと思う。あんなに味のしないお好み焼きはもう二度と食べたくない。ちなみに話し手は1人でわたしの他に2人いたのだが、その2人は面白がっていたと思う。
別に彼らに悪意はないと思う。もともと、セクハラというかそれに類する発言をする人が多かったが、本人たちは無自覚であったのだろう。
どんな話だったのかを書くと、わたし自身もまた加害者になってしまうので書かない。
無自覚なハラスメント
どれほど無自覚かというと、例えば田中花子さんという女性がいたとして、その人を「花子ちゃん」と呼んではいけないと思うのだが、なぜダメなのかが分からないそうだ。
例えばAさんとBさんの2人女性がいたとしてAさんは24歳で、Bさんは38歳だとしよう。このときに男性が「Aちゃん」と「Bさん」と呼び分けたりする状況が生じうる*1。これは要するに年齢や容姿などのファクターで女性に対して(その男性の主観による)ラベル付けが行われていることになる。強い言葉を使うと、差別しているわけだ。だから一律で苗字+さんで呼ぶべしみたいな話になる。
もちろん仕事場という公的な場所でのコミュニケーションだからこそ発生するルールである。プライベートな場所では、その当人たちの判断によるだろう。相手を苗字+さんで呼ぶカップルや夫婦もいるし、親しみを込めて愛称で呼ぶ人たちもいる。それは当人たちの私的な場でのコミュニケーションであり、外野が口を出す内容ではない。
と、ここまで書いてもピンとこない人にはピンと来ないのかもしれない。別に論理的な説明でもないし、感情に根ざしている後づけの論理ではないかと言われても否定はできない。なのでわからない人がいても不思議には思わない。
ただ当人の振る舞いが他者に対して影響を与えるかどうかは、悪意があるかないか、自覚しているかいないかで変わらない。他者に影響を与えるのは言動・行動である。内心で非常に極端な差別的な思考をしていても、行動を起こさなければに問題にならない。極端なことを言うと、たとえ内心死んでほしいと思っていようが、殺害計画を脳内で立てようが、行動を起こさない限り問題視されない。しかし「さん」と「ちゃん」で呼び方を区別する行動をとると問題になってしまう。その行動が他者に影響を与えるからだ。
誰にでも伝わるという傲慢さ
わたしは別に風俗に行った話をレベルが低い話だとは思っていない。技術の話をすれば高尚だとも思っていない。好きな人同士であればどんな話をするのも自由ではないかと思っている。そもそも会話のテーマに優劣なんてない。
ただ、どんなテーマを選ぶにせよ好きな人と嫌いな人と興味がない人の3種類が存在するにもかかわらず、下ネタや性風俗などの性的な話題に関する内容だけは「普遍性がある」といって譲らない人を何人も見たことがある。むしろ下ネタによるコミュニケーションを使いこなせないとダメだと説教する人も見たことある。
彼らにはわたしたちは見えていない、もしくは拒絶してもそうしたコミュニケーションを押し付けてくる。今風に言えばパワハラである。
わたしは誰にでも彼にでも開口一番Dockerの話をしないし、いきなり数学の話をしたりもこの前見たアニメの話もしない。会話、コミュニケーションはお互いのためのものであり、自分が好きな話をすればいいというものではない。当たり前である。
彼らが言っている「普遍性」は自分たちの周りには好む人が多く、嫌いな人も興味のない人もある程度事前知識がある、という程度の話だ。なのに彼らは好む人の都合ばかり優先し、自分の誤っている信念に基づいて、性という人の最も私的な話題のひとつにズカズカと踏み込んで、踏み荒らして笑っている。そんな人たちの神経が本当に理解できないし、理解したくもない。
個人の尊重
最後はここにたどり着くのだけど、わたしは個人が蔑ろにされている、と感じた時に強い拒絶感を覚える。蔑ろにされた対象がわたしではなくてもだ。
わたしが聞いていられない発言は、人を人として扱っていないタイプの発言だ。風俗でサービスを受けてきた人はまるで何かモノを買ってきたかのように話していたし、「(オフィスに男性ばかりなので)華がないから女性エンジニアを雇いたい」とか*2、女性をモノとして扱う趣旨の発言を聞くたびに嫌になる*3。
具体例が女性になっているのはわたしの経験を話しているからで他意はない。わたしは「(オフィスに女性ばかりだから)男性がほしい」という発言を聞いても嫌な気持ちになるだろう。わたしは男女の話をしているのではない。
性の話にせよ、ハラスメントにせよ、差別する行為や人をモノとして扱う言動そのものが、わたしにとっては軽蔑の対象であり、何よりわたしが拒絶されているように感じる。
おわりに
もともとは会社員になってから下ネタを聞く機会が増えたという話だったのに、変な話になってしまった。
ここに書いたことはわたしが思っている、あるいは感じていることである。正しいと後押しされたいと思ってもいないし、間違いだと糾弾されたくもない。するのは自由だが。
ところで、あいみょんの「君はロックを聴かない」という曲がある。
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人の趣味に踏み込むときってのは、本来はこれくらい奥ゆかしいもんじゃないかと、この曲を聴くたびに思うのである。