Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

市場にさらされたい

市場にさらされたいと思っているし、市場にさらされるようなビジネスパーソンで常にありたいと思っている。

これだけじゃ意味がわからないのでもう少し書く。

市場の効能

僕は、資本論を読んでいるだの資本主義にあれやこれや文句を言っているくせに実は自由市場経済原理主義者でもある。どっちかはっきりしろよと思われるかもしれないけど、このふたつが両立しているということが僕の中では重要だと思っているのだが、この記事はその話は関係ないので割愛。

自由市場経済の最も良いところはなんなのかを僕がひとつ挙げるなら、常に競争にさらされ腐敗を防ぐ効果があることだと思う。日本の平安時代の朝廷とかもそうだし、歴史の例を出さずともいまの官公庁とかでもそうだが、組織の内向きの論理ばかりが強く働いて、たとえば国を強くするとか、縦割り行政の隙間に落ちている重要な議題が遅々として進まないとか、そういうことが起こる。

たとえばヨーロッパでは隣接した国家や領主が外敵としていたので、組織の内向きの論理だけで動いていると外敵に滅ぼされたりする。だから国力を強くしなければならないと皆が思っていた。

そういう外敵のようなものが常にいる、というのが市場にさらされている環境ということだ。話を現代に戻すと、自由市場にさらされた環境では、そもそも自由市場に定量的な評価を受けるので自分の組織が強い・弱いが客観的にわかる。そして多くの会社には競合他社があり、そうした競合他社との勝負や事業に新規参入してくる人がいるとか、金融市場の利上げなどの引き締めによって条件が一気に変わるとか、そうしたことのすべての外的要因が組織の腐敗を防ぐ、あるいは腐敗した組織が倒産という形で淘汰されるという効果をもたらしている

適応し続けられる人を目指す

腐敗とはどのように発生するのかというと、状況の固定化がもたらす。それは人間関係かもしれないし、外部環境かもしれない。

組織の階層や上下関係がすでに固定されてしまっていて新たな会話の余地はなく、何らかの要因で外部環境が実際にもしくは擬似的に固定化されることが起こると、組織は腐敗してしまう。はて、株式会社でそんなことが起きるのか。起きるのである。

一般論だが、市場に直接さらされない形になっている部署があったりする。それがどの部署なのかは会社によると思うけれども。

そんな部署はないという会社もあるだろう。おめでとう、あなたは腐敗しにくい組織で働いている。

しかし、どんな組織にも腐敗の種は必ず潜んでいる。どこがどのように硬直化を始めるのかなんてわからないし、自分自身(そんなに自覚はないが)チームや組織を硬直化させてしまったことはたぶんあると思う。

だからこそ、自分は変化し続けられるひとを目指したいと思っている。自分が硬直化してしまえば、組織の腐敗のポイントがひとつ増えてしまうからだ。

市場にさらされたい

では、適応し続けられる人になるにはどうすればいいのか。それは常に市場にさらされることにあると思う。

自分と同じようなフェーズの組織はどのような場所にリソースを割きているのか、どこに資金を投じているのか、どういうことに興味があるのか、どのような目線で昨今の出来事をみているのか、みなが知っていることはなにか。

こうしたことは、すぐにわからなくなる。市場にさらされていないと、本当にすぐに見失う。

だから、常に市場に身を置いておきたい。自分という人間がどれほどの人間なのか。自分はできている人と比べなにができていないのか。いまの仕事は内向きの論理で動いていないだろうかとか。

プロダクト開発なんてまさにそうだ。SREやろうぜとかFour Keysを計りましょうとか、そういう話はめちゃくちゃ大事だ。でも重要なことは、それらは事業のための手段であるということだ。我々は常に市場経済のなかで生きていて、市場からの評価を受けている。それはプロダクト開発組織もまた市場の評価を常に受け続けているのだということだ。

開発生産性が高い会社ってエンジニアに人気だよね、みたいなのは成長している株式会社が採用市場の中でのブランディングにたまたま使えるというだけの話であって大したものではない。事業が成長していないスタートアップに価値などない。Four Keysがどんだけよくたって解約率90%のSaaS事業に未来があるとは誰も思わないだろう?

おわりに

僕は市場にさらされたいし、事業会社においてプロダクト開発組織はどんなビジネスモデルであれ、市場からの評価をダイレクトに受けるべきだと思っている。CTOでもCEOでもCPOでも社内の誰かからの評価には客観性がない。市場こそが我らが頼りにするべき指標だ。

たとえBtoBであっても、売り上げが上がらないことを営業組織のせい「だけ」にすべきではない。ものが良ければ売れるわけではないのは間違いなくそうだが、売れるものを作れなければやはり売れないのだ。