Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

最近考えていること 2025年4月

最近考えていることシリーズ。つまりは雑多な記録。

ChatGPT、AIアシスタントなどと呼ばれているもの

AIエージェント元年になんだが、チャット形式のAIにいまどっぷり浸かっている。

なんかとても今更だけど、LLMは世界を変えるなと確信した。この話はいつかどこかですると思うけど、とりあえず自分の生活はかなり変わっている。知的生産の方法がだいぶ変わる。

AIは自分の写し鏡でもある。自分が得意なことをやっていると、AIもものすごく得意な感じでサポートをしてくれる。しかし、自分が苦手なことはAIも苦手だ。

技術は基本的にこのような性質があることに最近気づいた。つまり、技術そのものよりその技術を使うために最適化された環境のほうが実は重要で、その環境を作り出す作用が技術にはある(これはいま現在放送中のCOTEN RADIOの科学技術の歴史とかを聞くとよくわかると思う)。

つまり、技術より実はその周辺が大事なのだという話なのだが、それが次の話だ。

ザ・ゴール

ザ・ゴールという本がある。

工場などでロボットを導入して生産性が向上したといっているが、実際は納期通りに出荷できることなどほぼない。そんな状況の工場長が、あと3ヶ月で工場を建て直さないといけないとなったときに初めて自分の頭で常識を疑い、施策を打ち続け成功するというサクセスストーリーである。

このサクセスストーリーは、実はTOC理論というものに裏打ちされている。

ザ・ゴールでは、会社の目標を儲けることと定める*1。儲けることとは、つまり3つの指標を改善することだという:

  1. 純利益
  2. ROI
  3. キャッシュフロー

本書で登場するジョナ(TOC理論を主人公たちに手解きする大学の先生)はこの3つを次のように言い換える。

  1. スループット:販売を通じてお金を作り出す割合
  2. 在庫:販売しようとするものを購入するために投資したすべてのお金
  3. 業務費用:在庫をスループットに変えるために費やすお金

これがどんな差を生むのかと言うと、実は経営指標の解釈に関わり、実際の生産活動に関わる。

つまり、通常の経営管理でコストをカットしようとすると、資産 / コストという指標を考え、コストを小さくして改善しようとする。しかし、これだと売れない完成品や未完成でこれから商品になるものもすべて資産のため、とにかく多くの在庫であろうがなんであろうが作れば効率がよかったことになる。

ここでTOC理論では先述のスループットに重点を置く。そう、販売して売り上げにすることが重要なのだ。在庫はそのままでは売り上げにはならない。

つまり、効率が良いとは 売上 / コストの値が大きいということなのだ。

そのためには、商品生産のボトルネックを特定し、ボトルネックに協調して他のすべての生産活動をしろ、というのがTOC理論である*2


さて。

つまりこれは、技術そのもの - ロボットによる自動化だとか、ソフトウェア技術だとか、AIだとか - よりも、その周辺が大事ということなのだ。

結局、売り上げが立たない資産を作るように組織が最適化されれば、資産 / コストの数値は高いけれど儲からない組織が簡単にできあがる*3。そして、ボトルネックでない業務プロセスを効率化したところで全体を最適化したことには全くならない。

おそらく、この記事だけ読むと売上 / コストの値がいい方が良いに決まっていると思う人もいると思う。

しかし、僕の知る限りこの数字をもとに業務プロセスを作ったり、組織文化を形成しているような人はあまりない。ていうか、あったらぜひ教えて欲しい。

これは数字の話じゃなくて、組織文化の話なのだ。


この辺から、僕のただの持論になっていくので学術的な裏付けがない話であることを先に明示しておく。

僕の観察では、組織文化は経営指標でいうと原価が規定する。もっというと、粗利が規定する。粗利の構造がどうなっているかが、組織文化を強く規定していく。

どういうことか。ソフトウェア業界でいうと、たとえばSaaSを提供している会社とSESをやっている会社でエンジニアの待遇はだいぶ違う。

これはその会社がいいとかわるいとかいう話ではなくて、エンジニアの人件費が原価なのかそうでないのかという話なのだ。

SaaSの開発では、エンジニアの人件費は原価ではない。販管費や研究開発費などに属するだろう。

これは要するに、エンジニアが働けば働くほど売上が上がる構造ではないので、残業とかをさせるインセンティブもない。しかし、新規事業開発などの経営としての投資や、事業運営には絶対に必要なので、待遇が低すぎることもないのだ。

だからこそエンジニアが組織を自分で作るだとか、自分たちで価値をどう証明していくのか、事業貢献していくのかといった動きが奨励されるわけだ。

SESでは逆に、そのエンジニアが良い働きをするかどうかには関係なく、その人の人件費は売上の原価である。つまり、その人が生み出す売上以上のお金は原理的に払えない。

また、稼働していない限り給与を発生させると会社としては損になってしまうので、なるべく稼働効率をあげることが目標となる。そのエンジニア個人に、SES事業の組織運営を任せたいとか、経営方針を考えさせたいというインセンティブがない。

ってなわけで、ある人の人件費が事業における原価かどうかというのはかなりその組織に影響を及ぼす。


そしてTOC理論は、その事業のコスト(原価を含む)の計算全体にメスをいれている。

これは単に生産様式の転換ではなく組織文化の変革なのだ。原価の考えが変わった「だけ」で、その組織がどのような人材を採用すべきか、どのような人を昇進させるべきか、仕事の分担をどう変えるべきか、どのような部署が必要か、などが大きく変わる可能性があるということなのだ。

つまり、AIひとつをとっても、既存の業務プロセスにあてはめているだけでは意味がない。

実施するべきは、月並みだが組織変革である。日本に膾炙しているワードで言うとDXだ。

あるひとつの技術を入れるということは、その周辺のあらゆるプロセスが変わる、人の動きも変わるということだ。

AIに限らず、スクラムとか、クラウドとか、そういうの全部が、組織のなにかしらの変革がない限り本当の意味では受け入れられないのである。

ザ・ゴールはそのことをよく示している。読んでいて本当に痛快だった。

*1:2025年に聞くとこの設定はどうかと思うが、1980年代の本であると考えるとそこまで不思議なことではない。

*2:僕の観測の限り、TOC理論をボトルネックを中心に考えることという解説が多いが不十分だと思う。つまり、ボトルネックを中心に考えることでさえ手段であり、この理論の主眼ではない。主眼はフロー効率を最大化することだと現時点の僕は理解している。

*3:そのような組織を僕が見たことがあるかは恐ろしすぎて表では言えない。