以前に勝ち負けに興味がないという記事を書いた。
この過去記事は、タイトルにもあるように「もう既になにもかも持っているから」、勝ち負けに興味がないのではという主張をされた話だ。
そして相変わらず僕は勝ち負けに興味がない。
しかし、この記事から少し変化している。どうも最近「もう既になにもかも持っている」感が増している。
欲しいものがない。
最近パソコンを買おうか検討していたのだが、検討した結果面倒になって買うのをやめた。過去に熱中して山ほど買っていたイヤホンも買わないし。
2024年以降、信じられないくらいものを買っていない。結婚のために必要だったもの以外に高い買い物をしていない。妻の買い物を見ていて、自分の小遣いを妻にあげようかなと思うくらいである。
別に物質的なものに限らない。旅行などに代表される体験にも渇望がない。知識欲も低い。本も通勤がなくなってあまり読まなくなったため、最近は買うのを控えている。
なんだろうと思ったけど、シンプルにたぶん満たされているのだと思う。
最近転職して、仕事が信じられないくらい楽になった。オンボーディング期間だからというのはあると思うけれど、のんびりと仕事をしている。
技術的な困難はいろいろあるのだと思うけれど、少なくともまだその深淵は見ていない。
ちなみに、在籍しているメンバーは結構つらい・大変な現場だという認識をしているらしいが、ファーストインプレッションとしては僕はそう思っていない。僕は別に、もっと辛い現場とか、いろいろと酷いものを見たことあるので特になんとも思っていない。
結婚していて、妻がいる。妻の手料理を結構高頻度で食べており、毎日何十分かは雑談する。週末はお酒を飲みに行ったり、外食に行ったりして好き勝手遊んでいる。
先月までは転職活動をしていたので、ある意味戦闘モードだった。しかし、今月からは先月あったそのエネルギーの振り向け先がよくわからない。
その上、先日書いたように、言いたいことが本当にない。
なぜ書かないのかと言われれば、こんな生活をしているからである。ストレスもなく、パートナーとコミュニケーションをとっていて、経済的に特に困窮もしていない。こんな生活をしていて、この世に言いたいことがあったほうがおかしいのではないかという気さえする。
生活に毒が足りない。8年前の自分はそう言っていた。
しかし毒なんてなくてもいまの僕は満たされているのかもしれない。
それに、別にエネルギーを失っているわけではない。よく言っていることだが、僕は消費しているより自分で作っているほうが楽しいと思う。
せっかくエネルギーが余っているなら、絵でも書いてみたり、プログラムでも書いてみたり、歴史の勉強でもしようかなと思ったりもしている。
たしかに伝えたいことはないけど、エネルギーを無駄遣いしているわけでもないなと思ったりする。24歳の自分はこの言い訳で納得してくれないだろうけど。