Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

僕が許さないので、英語を勉強しないといけなくなった

最初に書いておくと、この記事は英語の勉強方法とか、英語学習にまつわることは何も書いていない。

英語を勉強しないといけないなと人生で初めて思っている。

僕は英語を勉強したいと思ったことがなかった。理由は簡単だ、人間とコミュニケーションをとることに対してそんなに魅力を感じていないからである。

語弊があるかなと思ったけど、語弊もなにもなかった。実際そうだ。

僕はコミュニケーションをするためになにか努力をすることはない。

日本語話者同士でもそうだ。僕は必要のない限り人に対して話しかけることは基本しない。そして僕はあまり誰からも話しかけられないので基本ひとりで過ごしている。その方が気楽でいい。

語学力をつけないと会話できないというなら、そもそも会話をしなければいい。そもそもだいたいの人間が僕の人生にとって毒にも薬にもならないわけで、英語が喋れるという属性を付加したところで毒か薬かになる蓋然性が上がるとも思わないし、それを僕が欲するとも思えない。

と言い放っておいて、いま僕は英語を勉強しなくてはいけないなと思っている。

理由は仕事のためである。

これまたさして面白くもない理由だ。僕という人間もまた、誰の毒にも薬にもならないことの証左だ。

はてさて一方で、この自分の心の変わり方はとても興味深い。

僕は今まで誰になんと言われても英語を勉強しようとは思わなかった*1。しかし、実際に目の前に外国人が現れて「こりゃ仕事にならん」と思った。

仕事にならないのは当然だ、今まで磨いていないスキルなのだから。

でも僕は「仕事にならないことに」我慢ならなかった。

僕が英語ができないことはどうでもいいし、そして別に目の前の外国人と会話できることをさして望んでもいない。

僕が英語ができなくてクビになろうが左遷されようが減給処分になろうが*2、そんなことはどうでもいい。転職でもなんでもすればいいだけだ。

英語なんてできなくたって生きる方法はいくらでもある。

しかし、仕事にならないことは改善しなければならないなと思った。

仕事中の人間というのは生産装置でしかないので、コミュニケーションができない人間などぶっ壊れた生産装置でしかない。自分がぶっ壊れた装置であり続けることには我慢がならないし、そんな僕を僕は許さない。

壊れたものを直すのが僕の仕事だし、壊れたものが自分なら自分も直さなければならない。

ところで、あまり客観的な意見を聞いていないのでチームメンバーとか周りがどう思っているのか知らないが、たぶん誰もそんなに困っていない。

ただ、僕は許していない。

困るとか困らないとか、売上が上がるか下がるかとかそんなどうでもいい次元の問題ではない。僕が許すか許さないかの問題なのだ。

僕はいつも自分が許すか許さないかで判断している。実際、その基準で許されなかったものは何が起きても是正しようとする。だって他ならぬ僕が許さないのだから、是正しなければならないに決まっている。

なんか、こういうよくわかんない琴線に触れると急にやる気が出ることがある。その琴線がどこにあるのかイマイチよくわからない。

それがなんというか、僕なのである。


しかし、自分でこの記事を書いて思ったが全くもって意味不明だ。フツーに考えたら「英語なんてできなくたって生きる方法はいくらでもある」、と「英語ができない自分を許さない」とは同じ記事に共存できるものではないだろう。

僕が常に人生で最優先にするものは、許せないことを是正することだ。逆に言うと、今までの自分の思想や意見とどれだけ矛盾しようが、許せないと思ったら僕は行動を起こす。そうやって転職をしたし、採用活動に関わり始めたりもしたし、そのほかにも「俺はこれだけは絶対にやらない」と言ってきたものをいくつもやっている。僕は起業だけは絶対にしないって言っているけど、そのうちマジでするかもしれない。いや、少なくとも今は本当にする気はないけど。

とすると、例えば恋愛しない自分を許せなくなったら恋愛し始めたりするかもしれない。そういうふうに自分を操作できたら面白いな。でもたぶん、こういうことってアンコントローラブルな気がするんだよな。

*1:ついでに言うと、別に勉強しろとは今も誰にも言われていない。

*2:もののたとえであり、現実にそういうことが起こるとは思っていない。