Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

大学入試までの勉強だけで生きている

だいたい勉強というのは大学入試でまじめにやったけど、それ以後まともに勉強したことなど一度もない。だから勉強という勉強は自分の中で大学入試のための勉強で完全に終わっていて、一度も再開していない。だから 10 年以上僕は勉強していないことになる。

この 10 年くらい試験も受けていないし、よって試験勉強もしたことがない。TOEIC も一度も受けたことない*1

その代わり、大学受験で勉強したことは結構覚えている。

化学はだいぶ忘れてグルコースの構造式はもう書けないけど、組成式はC6H12O6 だったと思う*2。ベンゼン環をいかにきれいに書くかを昔競った記憶がある。

現代文でフェミニズムとか哲学とかを勉強した。上野千鶴子とか鷲田清一とかの名前を知っているのは受験勉強をしたからだ。

英語の長文読解で左右の判断をすぐにつけられない人(左右盲)は IQ とか性別とかによらない、という文章を読んだのを未だに覚えている。ほかにもいろいろ読んで面白い英文があったと思う。

よく日常会話で使うのが地理だ。海外旅行に僕は行ったことがないが、海外旅行に行った話を聞く機会は何故か多い。僕は海外の話になるたびに記憶の中のケッペンの気候区分を駆使し、気候の話を導入にもっていくことで話を合わせている。大学入試で使った科目の中では地理の授業が一番実用的だと思う。

仕事では大学入試の際に勉強したことはそんなに頻繁には使わない。しかし、高校数学くらいまでは知っておくとコードに反映する機会はよくある、気がする。というか知らない自分を想像できない。再帰とか当たり前のように使うけど、漸化式のような概念を知らないと再帰って難しいもののような気もする。

特に整数を扱うことが多いので、剰余の概念*3を使うことは結構多い。あまり詳しくないが、ゲームプログラミングとかだと三角関数も出てくるらしい。


とこんな感じで、日常会話でもニュースを読むときも仕事するときも高校時代までで勉強したことの組み合わせで生きている。僕は怠惰なので、そのせいで大人になってからまともに勉強したことなんてない。必要性を感じないからである。

傍から見ると自分の数学科時代の行動は勉強以外の何物でもないように見えただろうけど、本人はあまり勉強だと思っていなかった。やりたくないと思うまではやらなかったから大学院を中退したのだし。単なる遊びでしかなかったのだろうといまは思っている。プログラミングもそうだ。プログラミングを「勉強している」と感じたことは一度もない。遊んでいるだけである。

今も毎日遊んでいる。プログラミングをしたり、ソフトウェア開発プロセスを考えたり、組織について考えたり、全部遊びである。やらされていることなどなにひとつない。

ていうか今までの人生でやらされたことで長続きしたことなどひとつもない。何もかも自分で決めたことしか続いていないし、やらされ感が出てきたらそうそうにその場を離れている。

そういう生き方しかできないらしい。

ということで、やりたくないことはほとんどやらずに生きている。大学生になる前はやりたくないこともいっぱいやっていたので、今の方がずっと気楽だし幸せである。

自分で何をするか決められるし、リスクも全て自分で引き受けることができる。これが自由というやつで、僕は自由を謳歌している実感がある。


何が言いたいかというと、人生において勉強しないといけない期間も勉強しないといけない事柄も相当少ない。大学入試までの勉強の応用でなんとかなることが多い(なんとかならないことは勉強したほうがいい)。ので、18 歳までで勉強しておいてよかったなぁと思った、という話。

*1:大学時代にタダで受験する機会があったんだけど、別に興味がなくて受けなかった。ていうか、大学に行ったら TOEIC やってて今日だったんだって思ったおぼろげな記憶がある。受験せずに数学をしていた。

*2:ググったら合ってた。αグルコースとβグルコースの違いは思い出せない。

*3:数学科的には Z/nZ と言ったほうがたぶん伝わる。