Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

けたたましく始まり、静かに終わる

物事の終わりは静かなものだ。

どんな映画や演劇にも上映が終わる瞬間の静寂がある。音楽でもそうだ。演奏が終わる瞬間の沈黙が終わりを表す。

僕が知る限り、ありとあらゆるすべては静かに終わる。


外の現象だけじゃなく、自分の中の現象でも同じだ。

例えばマイブームが発生することがあるだろう。好きなYouTuberができた、好きな作家ができた、好きなアイドルができた。なんでもいい。変わり種だと変な口癖があるでもいい*1

こうしたブームも、始まる時は怒号のように始まる。もっと知りたいと思ったり、しつこいくらい言ったり。場合によっては周りの人にさえ伝わるほど激しい始まりさえある。

しかし、終わる時は誰に気づかれることもない。自分が気づかない可能性さえある。

「あのとき、あのアニメが大好きだったな」

そう思えるようになるのは、自分の中の熱が冷めてからだいぶ経ってからのことだ。あれは一過性のものだったと、初めて認識するのは。

何もかも静かに終わっていく。自分でも意識できないほど、静かに。


人が産まれた時、その人はたいてい、けたたましく泣くらしい。しかし、あまり騒がしく死ぬ人はいないだろう*2。たいていの人はきっと静かに息を引き取る。

数ヶ月後に僕は30歳になるらしい。自分の人生は、最近とても騒がしい。きっとまだ死ぬタイミングではないのだろう。

しかし同時に、今まであった騒がしさがなくなったのも感じている。あぁ、気付かぬうちに「終わって」いたのかと気づく。無意識的な「断捨離」かもしれない。

もう終わってしまっていて、あの計り知れない感情を呼び起こされることはないと思うけども。それでも、一瞬であったとしても、僕の人生を支えてくれたものであったことには変わりはない。

ありがとう、そして今更だけどさようなら。またいつか、会えたらいいですね。

*1:僕は一時期「いかんせん」という日本語をよく使っていた。もう滅多に使うことはないが。

*2:切腹をした武士くらいしか例外が思いつかない。