Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

損をすればいいのでは

金銭的な話で済むのであれば、多少の損くらいすればいいのではと思っている。

それ以上に思ってることはない。だからこの一言でこの記事は終わってもいい。とはいえこのままだと Twitter でツイートすれば済む話になってしまうのでもう少し書く。

もう少し詳細に言うと、金銭的に損をしない努力を一生懸命することに意味があるのか?と思っている。

世の中で絶対に取り返しのつかない資産というのは命(ひいては時間)だ。そのことについて考えないから損をした、というのは考えないことによって時間やエネルギーを得ているので損をしたことにはならないと思う。いまの僕はお金よりも時間やエネルギーのほうがずっと惜しい。


お金の価値は本来変動するものだ。

まず個人レベルでもそうだ。小学生にとって 500 円や 1,000 円は大金だろうが、高校生にとっては一瞬で使い果たしてしまう程度の額でしかない。同じように、僕が会社員になった直後と、いまとでは金銭感覚はまるで違う。5 万円を使うのにどれだけ迷うかが違う*1

社会レベルでも本来はそうだ。日本社会は色々な理由でそうなっていないけれどもこれはどちらかというと例外事象だと思う。例えばアメリカ(のどこかは忘れたけど都市部だと思う)では月給 60 万円でも生活が苦しいというニュースを見た。過度なインフレでお金の価値が下がっているからこその現象である。

頑張って 1 万円節約したとして、その 1 万円が 1 年後、5 年後、10 年後に同じだけの価値をもっているかはわからない。いま 1 万円を得したこと、あるいは損したことに対して何の意味があるのか、自分の人生にどれほどの影響があるのか全くわからない。実は生死を左右するような事態に陥るかもしれないが、たいていは 3 日後にはそんなことさっぱり忘れているのではないだろうか。

何が言いたいかと言うと、損をしたからといって別に気に病むことなどひとつもないのではと思う。いま損したことは、その瞬間は何かの痛手のように感じるかもしれないけれど、その損の多寡は時間の経過につれ感覚が変わるものだし、ほとんどの場合は人生に大した影響はないのだから。


前述の通り、いま僕は時間とエネルギーが惜しい。こんなブログを書いている場合ではない*2

お金を払わないために時間を使うより、お金を払ってしまえばいいと思う。いまお金を損した分は将来取り戻せる可能性があるけれど、いまの僕が考えないといけないことは、いまの僕しか考えられない。いま考えるべきことを将来の自分が代替することはできないのだ。

そもそも、お金というのは機会を買うためにも使えるというか、それが最大の価値であると僕は思っている。10 万円あれば 10 万円のものを買えるのではなく、10 万円分の挑戦ができる。

挑戦する内容を何にするのか?それが人生を作っていく。

損をしないための努力は、お金は残るかもしれないが別に何も生み出さない。非難しているわけではない。そりゃ、僕だって損はしたくない。ただ、いまはそんなことにかまけている時間がないのだ。

*1:最近は何を買うにも別に迷わない。迷っている時間がもったいない。

*2:この記事を最後に毎日更新はやめます。