よく変なところで読むのをやめる。
第 1 章を読み終えて、第 2 章を 1 ページめくったなんのキリのよくないところで読むのをやめたりする。なんかそうしたほうが実は脳が思い出そうとするかた読むのを再開しやすい、みたいな理屈を聞いたことがある。本当かどうかは知らない。
別に何か考えて途中で読むのをやめているわけではない。単に読むのをそろそろやめようと思ったタイミングがキリが良くないことが多いだけである。
考えてみたら当然だ。キリがいいところとキリが悪いところの数を純粋に比較すれば、キリの悪いところのほうが大いに決まっている。このブログ記事もいまこの文章で読むのをやめたらものすごくキリが悪いけれども、キリのいいやめどきなんて一切ない。キリのいいところは読み終えたところです。
そして人間は忙しい。読んでいる間に電話が鳴るかもしれないし、スマートフォンのプッシュ通知がくるかもしれないし、大切な人から声をかけられるかもしれないし、仕事の会議が始まるかもしれない。そのとき、文章を読み続けるよりそちらを優先することを誰も責めることはできない。僕もよくやるし。
ところで例外的に、数日前に紹介した権力に翻弄されないための 48 の法則はキリがよいところで切るようにしている。48 個の法則ひとつひとつの解説が 1 章のようになっていて、完全に話が独立している。だから、どの法則から読み始めてもいいし、どの法則を読み飛ばしても良い。そうすると、なんとなくキリがいいところまで読みたくなる。ブログ記事を 48 個読んでいるような感覚だ*1。
昔はここまで読もう、と思って章の切り替わりのところまで読むようにしていた気がする。一方で、特に小説とかだとキリのいいところというのはそんなにキリがよくない。結局話は終わってないのだし。
とするのであれば、第 3 章を読み終えて明日から第 4 章を読みはじめようが、今日第 4 章の 12 行くらいを読み進めようが大差ないのではと思うようになった。実際別にどうでもいい。読むのをやめたくなったときがやめどき。
昔みたいに夜を徹して本を読むなんて芸当はもうできない*2。ということでてきとうに切り上げる。切り上げることが(自分の健康のために)大事なのだ。本を読むよりも自分の身体のほうが大事である。
とすれば、キリの悪いところで切り上げられるようになったのは、単に体力がなくなってきたからなのではないか思わなくない。中学生くらいの体力でいま活動したいな。無理か。