昨日*1、本屋に立ち寄った。
なんとなく、講談社学術文庫の本が並んでいる棚の前に立った。なぜそうしたのかというと、『唯識の思想』という本をめくろうかなと思ったからだ(買いはしなかった。本の問題ではなく、僕のお財布事情で*2)。
この本はあった。しかしそれ以上に、人生でほとんど初めてくらいに講談社学術文庫の幅広さ、懐の深さを認識したことが収穫だった。
数学史、天皇の歴史、ソ連の本があったのは覚えている。他にもオスマントルコとかいろいろ。自然科学の歴史なんて本もあった。
今までなぜ認知していなかったのが不思議なほど、僕の知りたいテーマの本がいろいろあった。なんで知らなかったんだろう、ちくま学芸文庫は認識していたのに。
いわゆる文系の人が読むような本がなんなのか全然想像がついていない。
僕は数学科だったが、数学科というのは理系の中ではかなり特殊で文系に近い(と勝手に思っている)。別に研究室に毎日通う必要もないし、図書館などで数学の本をあれこれ参照したり、あれやこれや考えたりする毎日である*3。
たぶん文系の人と数学科の人が読む本はだいぶ異なる。いわゆる「本」に数式が載っていることは日本では珍しい*4し、数式が載っている本を上梓している出版社というだけでだいぶ数が絞れそうなほどだ。お互い岩波書店から出ている本を読んでいるだろうが、きっと同じ本を読んではいないだろう。
僕は心はド文系なので(要出典)*5、歴史とか文学とかには興味があるし、時代が人の心に及ぼす影響とか、時代が作ったヒーローとか名作とかにはとても関心が高い。
一方で、よく言われることだけど文理の区分はシステムが恣意的に作った概念でしかなくて、別に "文系" の学問に数学が登場することなんて普通にある。例えば最近の COTEN ラジオでやっているレヴィ・ストロースや構造主義の解説には群論が登場する。COTEN の社員さんが「ブルバキ」という人名*6を挙げたり、アンドレ・ヴェイユがレヴィ・ストロースと知り合いだったというのは個人的には胸熱である。
何を思ったかと言うと、こんな面白い世界があるならもっと早く知りたかったなと思った。僕は常に右も左も上も下もすべての垣根を飛び越えていたいと思っている性質なので。
僕はソフトウェア開発をやっているけど、ソフトウェア工学に詳しいわけでは全くない(不勉強ですみません)。ていうか、工学の一切合切を修めたことがない。僕は学士(理学)なので。ソフトウェア工学者の名前なんてケントベックくらいしか知らないし、まだ著名な数学者のほうがたくさん言える(そりゃそうか。ソフトウェアに比べたら圧倒的に歴史が長いし)。
とはいえ、いまの自分だからあの棚の面白さに気づけたのかもしれない。そう思うと、何よりも重要なのは自己の鍛錬なのかもしれないと思ったりもする。