Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

生きるって面倒くさい

最近ショックを受けたのが、とうとう自分が Twitter でフォローしている人が「上級国民」なる言葉を使っているのを見たことだ。

そんなことでいちいちショック受けていたら生きづらくてしょうがない世の中ではある。だけど、どうにも納得行かないというか、モヤモヤした気持ちが残っていて、「何がこんな言葉を生んだんだろうなぁ」などと思いながら本屋を歩いていたら、そのものズバリなタイトルの本があったので買った。

www.shogakukan.co.jp

無鉄砲な選択と、裏支えする幸福

この本の良し悪しはどうでもいい。ただ少なくともそこまで論理的な本ではない。

読んでいて思ったのは自分はあまりにも幸運すぎるなということだ。僕が大学受験にのめり込んだのは、勉強が一番ラクだったからだ。言い換えると、勉強以外の全てがしんどかった。もう二度と高校生はやりたくないのだけど、その理由は勉強ではない。受験勉強が一番簡単だった。

僕が大学に入った年は民主党政権の後期で、日本経済は停滞しきっていた。就職難で内定が出ないと嘆いている人が大勢いた。でも3年くらい経つと、いつの間にか「就職なんて簡単だよ」って空気になっていた。

僕自身は数学を学んだり、プログラミングを学んだりしたけど、当時はまだ年収がどうとか一切考えていなかった。ただ自分が興味を持ったこととか、比較的良い成績が取れそうな科目を選択しただけ。「普通の企業に普通に就職できる気がしない」とは思っていたから、大企業を避けてスタートアップに就職した。もちろんこの出会いも偶然。

とにかく運が良かった。何から何まで。

たまたまノリで選んだ道が、なぜだか世間の潮流と合致してしまい、僕はこうしてなんとか生きていけている。ただ同じことができるのかとか、この幸運がどれほど続くのかとか、いろいろと不透明なことだらけだ。下手に過去を積み重ねてきてしまったからこそ、未来が恐ろしくなる。自分がいまそれなりに健全に生きているのは偶然でしかないと思うと怖くなる。

生きる

何が言いたいわけでもないんだけど、自分の人生を下支えしているものがとても薄っぺらいもののような気がしてならない。今生きているのはたまたまで、明日一歩踏み出せば落とし穴にでも落ちるんじゃないかって恐怖が常にある。しかもこの国にはちゃんとしたセーフティネットがないしね。

未来、つまりはわからないものを怖がっていてもしょうがないんだけど、そんな想像をせずにはも居られないし。

あ〜あ、生きるって面倒くさいよなぁ。