Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

アベノミクスが変えた10年を振り返る

第 2 次安倍政権は 7 年と 8 ヵ月続いた。振り返ってみると、僕は 20 代のほとんどを安倍政権下の日本で過ごしたことになる。

19 歳 の終わりから 27 歳 ちょっとまでの間、僕が大学生として、会社員として過ごしてきたこの長い長い時間を、安定政権に支えてもらった。僕はそのことを本当に感謝している*1

おそらくみなさんもご存じのように、2022 年 7 月 8 日、安倍晋三元首相が凶弾に倒れ命を落とした。67 歳だった。

きっと彼が死んだときには、僕は何かを言葉にして残さないといけないだろうと思っていた。今までの自分の人生に最も大きな影響を与えた政治家は安倍晋三以外にあり得ないからだ。

しかし、こうして言葉にするタイミングがこんな形で、こんな早さでくるとは思っていなかった。残念だ。

今から僕は、彼の政権と僕の人生について振り返ろうと思う。その前に僕のスタンスとして書いておきたいのは、僕は彼を英雄視したくないということだ。僕個人の人生にも大きな、本当に大きな影響を及ぼした政治家ではあるが、それと英雄視するかは別の話だ。彼の死を美談にするべきでも、故人を政治に利用するべきでもないと思う。言うなれば、死してなおこれからの政界に影響を及ぼすようなことはあってはならないと思う。

なぜならば、政治は、民主主義は、生きている人のためのものだからだ。

「悪夢の民主党政権」

第 2 次安倍政権が発足した 2012 年 12 月は、僕はまだ 19 歳だった。今でこそ 19 歳でも投票ができるが、当時の僕には残念ながら選挙権はなかった。

どうしてもあの時の衆院選に 1 票を投じたかった、という想いは今も完全には消えていない。あの時ほど選挙に行けないのを残念に思ったことはない。そのせいか、選挙に行かなくて後悔するのがいやで基本的に国政選挙には投票するようにしている。

なぜ僕が票を投じたかったか、簡単なことだ。自分の家族が「悪夢の民主党政権」によってめちゃくちゃにされたからだ。

「悪夢の民主党政権」というフレーズは自民党のキャンペーン、マーケティングの言葉であるなどという人もいる。その人にとってはそうなのかもしれないが、僕にとってこの表現は誇張でも何でもない。

リーマンショック、そして東日本大震災の影響を受けてぶっ壊れた日本経済は円高、就職難という形で表面化した。10 年前、日経平均株価は 2022年7月初旬の水準と比べれば半分以下が当たり前だった。現在は円安が問題になっているが、当時は円高が進みすぎて 1 ドルは 80 円代が常態化していた。

僕の地元は愛知県、製造業の町だ。特に輸出産業である自動車産業は円高のあおりをもろに受けて、同じ数だけ物が売れても売り上げは目減りしていく。少し前までやっと好景気が来るかと沸き立っていた町が静かに、冷たくなっていくのを肌で感じていた。

父親は仕事がなくなり収入が減り、仕方なく転職までした。2009 年のことだ。民主党政権になって、事態は全く改善しなかった。

その数年後の 2012 年のこと。僕の姉が就活をしていた。僕の姉は 3 つ歳上、2013 年の新卒だ。彼女はなかなか就職が決まらなかった。なんとか就職をしたが、もちろん皆さんが知っているような大手企業などでは全くない。地方の零細町工場の事務員として就職し、今も働いている。

驚くべきことに、円高も就職難も放置され続けた。自分が票を投じたわけでもない政治家の失策で、自分たちの生活が脅かされる。それが僕にとっての「悪夢の民主党政権」の記憶だ。

副産物として、民主党政権は僕に政治の重要性を教えた。政治が自分の生活にどれほどの影響を及ぼしているのか、それを痛いくらい思い知らされた。無能な政治家は国民を殺せるのだ。

結果的には、2012 年 12 月の衆院選は僕が票を投じるまでもなく自民党が勝利した。そして始まったのが第 2 次安倍政権だ。

立て直されていく日本

当時の自民党のキャッチコピーは「日本を、取り戻す」だった。時折いまも思い出す。

難しい話はここで書かないが、「アベノミクス 3 本の矢」、「戦後レジームからの脱却」など大胆な経済政策や氏の国家観を反映した政策や取り組みが始まった。批判や非難を受けながらも "決められる政治" が始まったと僕は感じていた。

僕の周囲ではアベノミクスの効果は絶大だった。マクロには徐々に株価があがっていき、円高も是正された。生活が楽になったとまで思わなかったが、仕事がないと喘ぐことはなくなった。町にも活気が戻っていった。

13, 14 卒くらいまでは就職難の空気がまだ残っていたが、15 卒あたりから雰囲気が変わり始めたように思う。16 卒の僕の同級生はあっという間に内定をとって、就活が大変なんて話はほとんど聞かなかった。

たまたま優秀な人が周りにいただけなのかもしれない、あくまで主観だ。しかし人が生活をしていくために賃金を得る、というのはとっても基本的なことで、そのハードルが高いのは人生設計に直結する。就職がかつてよりずっと簡単にできるようになったのは、それだけで評価されるべきことだと思う。

資本主義の世界で、多くの人が安定した賃金を得られることは社会の安定のための前提条件だ。もちろん、アベノミクスも完全ではない。しかし 10 年前に比べれば圧倒的に良くなっているのもまた事実だ。これは間違いなく彼の功績のひとつであり、そして僕の生活を豊かにしてくれた政策だ。

そのほか外交、国家安全保障戦略など、憲法 9 条の改正などに向けた取り組みは、別に僕は専門家ではないので評価はできないが、少なくとも自分の思想と著しく不適合ではない。特に本人の支持者を考えれば、韓国や中国に対する外交姿勢はある種 "総理大臣的" というか、日本の国益を考えた振る舞いをしていたのではないかと思う。

コロナ禍までの安定期

僕も無事就職して*2コロナ禍が始まるまで、僕は普通に生きていた。政治に民主党政権時代ほどの関心もなくなった。

普通に生きていけるからだ。普通に生きていけるときは政治に関心を寄せる必要もない。素晴らしい日々だ。

マスメディアは不祥事があっても説明責任を果たさないとか、表舞台に出てこない、国民の意見を聞かない首相だなどと言っていたけど、僕は全くそう思わなかった。

様々な疑惑は何年も経っても結局疑惑でしかないようだし、証拠もない以上は疑惑を追及してもいつまでも同じ禅問答を繰り返すだけだと思う。

表舞台に出てこない、ということに関してはそもそも首相なりリーダーなりというものはいの一番に表舞台に出るような出しゃばりには務まらない。

また話が逸れるが、東日本大震災が起きたときに当時の首相であった菅直人がヘリで現地に飛んで行ったが、僕はあれは愚行だと思う。なぜ一国のトップが、情報を集めて指示を出さねばならないときに本部を離れて現場に向かってしまったのか。自分の仕事の放棄だ。

菅官房長官を筆頭に、質問に答えないことも批判されたようだ。学校の教師と生徒のような関係であるならば、質問には答えるのが道理だと思う。一方、政治家と記者は対等な立場なのだし、答えるべきでない質問だと判断されたら答えないのも別に問題ないのではないかと思う。

僕は誰かに質問をするとき、いつも緊張する。質問をするときに問われるのは質問を受ける側の資質だけじゃない、質問をする側の資質も同じように問われているからだ。記者にもその程度の気概はあってほしいが。

コロナ禍から退陣まで

さて、また政治に関心を持たなければならなくなる。コロナ禍のせいだ。

学校の休校や卒業式の中止、緊急事態宣言の発令など、明らかに日本、そして世界が異常事態に陥っていった。

医療は、経済は、などなど感染症に付随するありとあらゆる事柄が政治との利害関係者になった。マスクが売り切れてしまってない、ということが政治の場で対策されるような事態だったのだ。

批判もあるが、初期の対応としてこれ以上のことはできなかったのではと思う。結果として、2020 年 5 月下旬に緊急事態宣言を解除することができた。日本は先進国のそのほかの国に比べれば現時点でも圧倒的に COVID-19 の死者数が少ない。それが彼の初期対応の結果だと思う。

良い悪いなどと簡単には評価はできない。難しいことだ。

安倍氏はこの 2020 年の夏に退陣された。辞意を表明された日、僕は Twitter で感謝の言葉を投稿した。

政権への不満

さて、そんな安倍政権に文句がなかったか、というとそんなことはない。

まず教育だ。自分は大学というところに短い時間居て、自民党がいかに日本の学術や教育に関して予算を減らすとか、「選択と集中」などという妄言で愚策を弄してきたことかと思っている。特に大学時代はそう思っていた。

ただ、教育、学術、基礎研究などに予算を無条件に割くべきではないという価値観の人も当然ながらいる*3。僕の考えは変わってはないけれども、大学の営みには価値があるのだということを市井に広げる活動が必要ではと感じている。スノップな奴らのじゃれあいで終わってはならない。

閑話休題。

そのほか、自民党の国家観、特に家族観は個人的には相容れない。伝統的な家族が大事だと僕は思わないというか、むしろ家族とは呪いだと思っている。

僕の古いブログ記事から引用する。

家族というのはとても不思議な謎の力によって支えられていることが分かる。つながなくてもいい糸を切れないようになくさないようにつなぎ留め続けようとする特に根拠のない意志が家族を支えているのだと。

伝統的な家族観なんて根拠のない意志でしかない。そうした根拠のない意志を、個人個人が自由に生きていくこの時代に、これまた根拠なく守り続けるべきだと僕は思わない。

直近の動向

退陣されたあと、特に直近は自身の派閥を持ち、その影響力を利用して裏で動く安倍氏の報道を見かけていた。

digital.asahi.com

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正直なところ、直近の働きはあまり見たくないものでもあった。

僕は総理大臣安倍晋三の振る舞いは評価するが、自民党総裁安倍晋三は決して好きではない。直近の行動は影の自民党総裁のように見えた。

経済政策を引き続き同じ方針で継続する姿勢、対中・対韓の姿勢、ウクライナ危機に乗じての核兵器に関する言及などなど、首相時代ではありえなかった言動がちらほらと出ていた。

死んではならなかった

もちろん、だからといって死んでいいわけがない。

純粋に、まだ生きていて欲しかった。願わくば、できるだけ長くに渡って自身の長期政権の審判を受け続けて欲しかった。

彼がこんな形で命を失うということの影響が大きすぎた。容疑者が意図してか知らずか、テロになってしまった。テロは国民を不安や恐怖に晒すことで国を弱らせる。彼の命がテロに使われたのが皮肉なことだと思う。

終わりに

ここまで書いてきたけれど、僕は安倍氏に会ったこともお目にかかったこともない。

それでも、僕は彼に日本の未来を託して良いと思っていた。そんな人が、こんなにも早くこの世を去ってしまったことが、本当に残念で、悲しくてならない。そして彼が作ってきた国家が、彼が命を失うという形で危機に晒してしまっている現状に大変危機感を持っている。それこそがテロの影響だからだ。

彼の死を悼むのは自由だ。しかし、彼の死を政治判断に影響させてはならない。そう考えている。

最後になりましたが、安倍さん、日本を、そして僕の人生を長年に渡って支えていただき本当にありがとうございました。

「悪夢の民主党政権」を作ってしまうきっかけになったのも、2007 年の参院選でねじれ国会を作ってしまったあなたでした。そういう意味では恨み言もあります。

それでも、少し時間こそかかりましたが、何年か越しに僕や僕の家族を政治の力で守ってくれたこと、救ってくれたこと、本当に感謝しています。おかげで僕は、20代という貴重な時間を、学業、仕事に打ち込むことができました。いま僕がこの日本で豊かに過ごせているのはあなたのおかげです。

心よりご冥福をお祈りします。

*1:通常、僕は政治的な立場やスタンスなどを明らかにしないように記事を書くがこの記事は例外として扱う。

*2:こんなことを書いているけど、僕は就活していないので実はアベノミクスの恩恵を受けていない。詳しい話はこの記事をご覧ください

*3:それは必ずしも典型的保守層に限らない。