Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

Tokyo 2020 ってなんなんだよ

わざわざ言及する意味もないんだけど、今日を今日として迎えたのだから書いておこうかなと思って。この 2 週間も自分は生きていかないといけないわけだし。

2021 年 7 月 23 日。何があるのかというとオリンピックの開会式がある。投稿時刻にはもう終わっているかも?まぁそれはどうでもいいか。とにかく今日はオリンピックの開会式の日だ。

olympics.com

特に追っていないんだけど、毎日毎日よくここまでケチがつくなという気持ちになっていた。別に関心はないので詳細は記事のひとつも読んでないのだけど、何かしらが目に入る。とりあえず昨日も誰かが辞めたらしい。

なんなんだよそれ。

今日ちょっと出かけたんだけど、青い Tokyo 2020 の T シャツを着ている人が電車に乗ってたり、外歩いていたら道に Tokyo 2020 の旗が登ってたり看板にロゴがあったりで嫌でもオリンピックであることを意識させられた。

別にオリンピック自体に大きな不満はないというか、やるというのであればやればいいんじゃないくらいに思っている。別に今更反対したってしょうがないし。

だけどもっと、普通に始めて普通に終わってくれた方がよかったなぁとは思う。

ただでさえパンデミックに被ってしまって延期は余儀なくされるし、運営が政治に巻き込まれてがんじがらめになってという事情も理解できなくはない。

もともとパンデミックなんかになる前から、オリンピックの裏ではロビー活動とかが盛んに行われているわけで、ある意味政治ありきのイベントなんだよね。それを知った上で見ているんだけど、でもそういうのは裏でやっていてほしいんだよな。表にまで出てきてしまったら、それはやっぱり純粋な気持ちでは見られないよ。

思えばパンデミックになる前からそうだった。そもそもなんで誘致したのかよくわかんなかったし、工事が間に合わないから過酷なスケジュールになって過労死した人もいたし、ロゴはアレコレ騒ぎになり、暑すぎるからサマータイムを導入しようとか人工降雪をするぞとか。誰のせいでもないけど、パンデミックで結局延期こそしたけど毎日毎日あれやこれやで大騒ぎ。正直、始まる前から食傷気味。

はぁ。なんだよこの茶番。

2020 っていうロゴを見るたびに、やっぱり言いようのない気持ちになるし、2020 年の遺物がひょっこりこの夏に出てきたからって、そこに「失われたものを取り戻した」とか、「日常が戻ってきた」という感覚は僕にはないんだよね。どちらかというと、あるはずのないものがそこにある、2021 年の異物として僕の目には映っている。

別にオリンピックに恨みもないし、罪もないと思っているからやるならやればいいと思うんだよね。

でもさ、せめて無関心でいさせて欲しかったな。気がついたら終わってた、って言わせてほしかった。

ただパンデミックの状況下なので無観客で実施しますってだけならこんな記事書く気にもならなかったと思うのに、こんなに文句を言いたくなる祭りもそうそうない。

なんなんだろうな、2020 って。

1 年経ったって 2020 年の呪いは全然解けちゃいないんだって、このオリンピック自身が体現してしまっている気がする。2021 年、夏、東京。