Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

頑張らない

頑張らないようにしている。

頑張ったらなんとかなるのだとしても、頑張らないほうがいい。頑張らないとどうにもできないことにはどうせ持続性がないし、そこには非道徳、非倫理的な行いの温床になる。だから頑張らない環境、頑張らせない仕組みが重要だ。


昔々、あるところに 2 日分休日出勤をした id:hikaru515 がいた。ある年の冬、クリスマスの少し前だ。

週明けの会議で見せたいプロトタイプが完成しなかった。だから、3 連休だったかを 2 日分使って仕事をした。

たしかクリスマスイブか、その前か。それくらいのことだったと思う。その前の年も、休日出勤ではなかったかもしれないがほとんど同じことをしていた。このプロトタイプがあれば、このプロジェクトはきっと進むにせよ終わるにせよ、また一歩正しい方向に進むだろうと信じていた。

新幹線に乗って、同じ会社の人と合流し、顧客のオフィスの会議室に行った。僕はほとんど飾り役だが、プロトタイプを自分のマシンで動かさないといけない、そう思っていた。

そこでなされた会話はよく覚えていない。ただ結局、この 2 日分の僕の勝手な努力を誰も望んでいなかったということがわかった。そのプロトタイプは結局お披露目されることはなく、全く違う注文が入った。

このプロトタイプがこの会議において必要かどうかは、僕にとって極めて重要な事実であった。休日出勤という手段に出る前に確認すべき認識であるはずだった。なのに僕はそれを怠った。

なぜそんな簡単なことがわからなかったのか。僕は急に自分の無力さを自覚した。

冷静に思い出せば 1 年前も全く同じことをしていた。その前の年、同じくクリスマスくらいに僕が上司に焚きつけられて作ったものは、何の日の目を見ることもないままこの世には存在しなかったことになった。この 1 年頑張ってきたつもりだったが、自分は何も成長していない現実を突きつけられた。同じ失敗をただ漫然と二度した。

その会議を終えて、出張先で疲れ果ててホテルのベッドに突っ伏した。なんの気なしにテレビをつけたらクリスマスソングが流れていた。そうかクリスマスかと思い出す。

そのとき流れた back number のクリスマスソングが、どこか空虚な歌に聞こえた。

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それから何ヶ月かかけてわかったことがある。僕は無能であり無力なのだ。

それ以来、「自分が頑張ればいい」という考え方をするのをやめた。無能な僕が頑張ったところで何も解決しないし、何の成果も出ないからだ。必要なのは頑張りではない、課題解決であり成果である。それを頭に叩き込んだ。

物事を捉え直すため構造を認識するようにした。大体のことは構造から演繹され、人間は構造に合わせて行動を最適化する。

この認知のためには数学科時代の経験がとても役に立った。人間は感情だの理性だのいろんなものは持っているが、案外構造から外れたことをすることはそこまで頻度は高くない。構造はめちゃくちゃ強い。そして構造がめちゃくちゃ強いという直感を僕は数学から得ていた。

当たり前だが、まだ新人エンジニアだった僕は構造の中の末端中の末端だった。その現状認識さえすればあとは簡単だ。僕が頑張らないといけない時点で何かが間違っていると断言できるようになった。自分の行動の変化で自分の仕事で成果があがることはまずないが、自分の行動が狂っていたところで失敗することもまたほぼありえないのだ。


さすがに今は 6 年目くらい?のエンジニアになって、自分の行動が事業になんの影響もないとは言えなくなってきた。しかし、末端からちょっと中心に寄ったくらいの変化で、自分を取り巻く構造はそこまで変わっていないし、自分は無能であり無力である。

僕は頑張らないことを重要視している。どうしても頑張るという手段を取らないといけないのだとしても、その前に考えなければならないことが山ほどあるはずだ。もし頑張り方を間違えれば、ただ破滅へと突き進む。それは歴史が何度も証明している。

頑張らないで成果を出す。言い換えれば、誰も消耗せず、コストもかけないようにゴールへ向かう。それが理想のはずだ。

頑張らないために本気で考える、それができる人間でありたい。