Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

それでも、明日はやってくる

「現在、東京都では緊急事態宣言が発出されています」

イヤホンを耳に突っ込むと、勝手にノイズキャンセリングが動いて、アナウンスは途中から聞こえなくなった。

21 時の繁華街。高いビルもライトは暗くて、いつもの街なのにいつもの街じゃない。風が強くて雲は星の光を遮ったり通したりする。ぬるい夜風が頬を撫でる。店が閉まって行き場を失くした人たちがその辺に集っている。

そんな東京の夜だった。

青い T シャツを目にすると、昨日終わった夏のビッグイベントを思い出す。目の前の現実とどこかで行われているイベントの矛盾を思い出して目を伏せる。

いろんなものから目を逸らし、言いたいことは胸にしまい、聞きたくないことからも耳を塞ぐ。

それが今日の処世術。そうやって生きている。

そして、それでも明日はやってくる。


映画大好きポンポさんという映画を見てきた。

pompo-the-cinephile.com

すごく今風の映画だなと思った。課題は山積で、全てはまるで現実かのようで、実現したい夢のために人々が協力して、取捨選択して、未来を切り開く。

悪い奴はどこにもいないし、みんながみんな自分の役割を全うするためにこの映画に登場する。

別にシニカルな態度を取りたいわけじゃない。今風だから良いと思う。今は2021年なのだし、今風なことになんの問題もない。

すごく良い映画だと純粋に思った。何かを成すために頑張っている人にも、自分ではなにもできないと思っている人にも。

映画を通して理想を表現する。映画を通して夢を掴む。人の夢に、自分も夢を見る。映画とはそういうものだし、そうあるべきものだということがしっかり描かれている映画だった。ちょっとメタな書き方したけど。


僕も何かを創るような人間になりたかったと今でもたまに思う。

実際に一応ソフトウェア開発などというものに従事しているし、ソフトウェアは比喩ではなく世界を変えている*1

しかし、現実に僕はなにも創っていない。

音楽も、映像も小説もイラストもソフトウェアも、自分の意志ではなにも作らないで生きている。生きていけている。

何かを始める前は、自分は才能がある天才でいられる。何かを始め、実際にアウトプットを出して作品という形になり、人の目に触れるようになるなり自分の才能のなさが露呈する。結局そのギャップに耐えられなくて、なにもしない道を選ぶ。

僕はそうしてなにも作らなくなった人間のひとりだ。なにも作れなくなった、なにもできなくなった人間のひとりだ。きっと、掃いて捨てるほどいるつまらない人間のうちのひとりだ。

だけどこの映画は、そんななにもできなくなった人間にもフォーカスをあてている。

僕は思う。クリエイターを支援するのもひとつの創作活動なのではないかと。他人の夢に自分の想いを乗せるのも、ひとつの立派な生き方ではないかと。


なにも聞きたくなくて、スマートフォンを操作して音楽の音量を上げた。日本の駅も電車も、いちいち小うるさい。

自宅の最寄駅で電車を降りて、改札を通り、出口まで階段を登って外に出る。ビル街と少し質の違う蒸した風が頬を撫でた。

なにもないのに、夜空が綺麗に見えた。

家に帰ったって、映画の主人公のように急にフロントマンに大抜擢されているなんてことはないし、急に夢への第一歩を始めることになったりはしない。

それでも、このなんでもない帰り道も、きっと明日につながっているんじゃないかと思う。きっと、未来の自分の為すなにかへと繋がっているんじゃないかと思う。

他人の夢を応援するだけの未来であっても、本気で応援できるならそれでいいと思う。

そう、それでいいのだ。劇中の映画『MEISTER』にどんな関わり方をした人たちも、この映画を力強く支えたことに変わりはないのだから。

未来のことなんて考えられない日々が続いている。夢のために頑張ろうなんて全く思えないほど冷え切った毎日が続いている。それでも、いつものように今日が終わって、明日が始まる。

虚構と現実の落差に頭を抱えながら、明日を生きて行く。いつまで経っても生きて行くことしかできない。

だけど、明日がなければなにも始まらない。

2021 年、8 月某日。夜、自室にて。