もののけ姫を見てきた。
それこそ初めて見た時がいつだったのかなんてよく覚えていない。幼稚園か?小学生か?
大学生になってから2回ほど見て、それでもなんだかよくわからない話だなと思った記憶がある。ただ、少なくとも「ともに生きる」ということにこだわりつづけるアシタカにはなんとなくの共感を持っていた。
映画館で見たことは今まで一度もなかった。それでこれを機に見に行こうと思った。こんなことでもない限り、映画館でもののけ姫が見えることなんてないだろうとも思ったから。
今更気づいたんだが、キャッチコピーは「生きろ」と命令形なのだ。「生きる」ではなく。
長となるべき若者が過酷な運命を背負わされようとも、
親に捨てられ、人間にも馴染めず、山犬にもなりきれずとも、
神と対立し、すべてを失おうとも、
日常を根こそぎ奪われようとも、
生きろ。
なんと単純で、なんと残酷なんだろう。この世界がどんなものであろうとも、どんなものになろうとも、生きろという。襲い掛かる不安も怒りも悲しみも醜さとも向き合うしかない。それでも生きろという。
生きろ、生きろ、生きろ。
ずっと脳内にそればかりがこだましている。
何度も書いているけれど、たった数ヶ月で世界は様変わりした。一度は本当に緊急事態といった様相であったし、今も第二波の只中にいる。一方で、多少はリスクを受け入れ、「かつて」の日常を取り戻さんとする動きもある。そもそも映画館が営業している。
そしてこの先の見えない、戦いなのか、調和なのか、共生なのかを模索しながら日々を生きている僕らにとって、実はこのもののけ姫という物語はとても寄り添ってくれるものではないだろうかと思った。そう思ってもののけ姫を選んだわけではないのだけど、この先の見えない、薄暗くなってしまった世界にもののけ姫の物語が重なるところがある気がする。そして同情も憐憫もなにもなく、冷徹に「生きろ」とだけ伝えてくる。
緊急事態宣言が出たときに、「生きる」ってことだけ決めた。他に何もできることが思いつかなかった。
あの世界の森やたたら場の復旧にも終わりはない。僕らの世界の復旧、あるいは再構築にも終わりはない。でも結局やることは変わらない。
「生きろ」
「生きる」
これだけを胸に刻んで、今日を始めようと思う。