Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

現実のほうが面白い

最近フィクションをあまり読まないし見ない。あとエンタメも興味がない。強いて言うなら音楽は聞いているけど、Spotify で嵐とか特定アーティストのプレイリストか、平成ヒットソングみたいなプレイリストを聴いている。

強いて言うならマンガを読むが、作家買いしかしていない。小説なんて読んでいられない。エッセイや Web メディアのほうがよく読んでいる。

もう善と悪とか、男と女とか、そんな簡単に世界を二分できないって知っているはずなのに1、未だに勧善懲悪の物語は持て囃されているし、連ドラは男女の恋愛ばっかりしている。アニメはよく知らん。別にポリコレにそこまで賛成してないけど、あまりのステレオタイプ加減に見る気を失くす。ずっとおんなじことばかり言っていて何が楽しいんだろう。

そんな中いま地上波テレビのほとんどを占めているワイドショーや芸能ニュースは知らん誰かの不倫を糾弾しているし2、誰のためのメディアなんだか。

年をとったということなのかもしれない。

ゲームもやりたいなあと思うんだけど、時間があまりになさすぎてやる気にならない。何より現実とかプログラミングとかソフトウェア開発とかいうゲームがそこそこ面白いので、そんなにゲームをやっていないことに対する負い目がない。ついでにお金もらえるし。

動画の話になるけど、日本人のために作られたコンテンツをだいたい見たいと思わない。結局 YouTube だろうが Netflix だろうが Amazon Prime Video だろうがなんらかのマスのためのコンテンツづくりだし、おそらくコスパがいいので芸能人が使われている。だから結局テレビと絵面が変わらない3。プラットフォームが変わっただけで、出演者が似ているし、どうせ今まで通りのことをしているんだろうと思うと、もう何年も見てきたものだから今更興味を持ちようがない。

じゃあアニメなら見る気になるのかというと、そうでもない。

強いて言うならドキュメンタリーはテーマによっては面白そうだと感じることがある。フィクションよりも現実のほうがずっと面白いものだ。特に Netflix のドキュメンタリーは面白い。年間 100 億ドル使っているプラットフォーマーは違う。

そもそも僕らが対峙しているものは常に現実だ。現実が十分面白いのになぜフィクションが必要だったのか最近わからなくなっている。もしかしたら、フィクションをもう十分量摂取したのかもしれない。最初から必要がなかったのかもしれない。

ここのところ、ずっと現実のほうが面白いと思う。あんまり向き合いたくもないと思うけれど、少なくともわけのわからん YouTube の 5 分ショー見てるより、 Qiita のフォロイーがいいねした記事眺めているほうがずっとマシ。


  1. 今日もグレタさん御一行を写した写真で、黒人女性だけをトリミングしてしまったなんとかってメディアが燃えていたね。

  2. 今回たまたま知っていたけどふつうの人は「誰やねん」じゃないの。東出昌大と唐田えりかって「寝ても覚めても」に出てた2人だと思うけど、そもそもこの映画をどれほどの人が見ているよ。

  3. 実際には地上波テレビは最近予算がないようで、派手な画という意味ではストリーミング配信のほうが圧倒的に派手。