Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

全ては現実逃避

宇多田ヒカルのライブ映像を見ながら、この記事を書いている。

www.netflix.com

気温が下がってくると悩みが増える気がする。

いろいろなことが見え始めて、いろいろなことが狂い始めてくる。夏までは新しいことにチャレンジしようと思っていたはずなのに、もはやそんな気持ちはめっきり消え失せて、目の前の餌に釣られそうになったり、短絡的な思考ばかりしているような気がする。

そんな中で、ボーッと PSYCHO-PASS 3 をとりあえず見た。

なんとなく、今年はアニメにハマることはないんだろうなと思っている。去年は「やがて君になる」の話しかしていなかった。今年も何かにハマれば、このどこか薄暗い世界ももう少しマシに見えるんじゃないかと思う。

そもそもここ最近見ているもの、読んでいるものはとても味気ない。味気ないというとあれだが、ビジネス書か技術書かノンフィクションしか読んでいない。結局一番おもしろいのは現実なんだっていうと、俺もリア充になれるんじゃないかって気がする。いや、ウソそんな気はしない。

OSS活動

悩みから気を紛らわそうと、少し気になっているツールの開発の手伝いをしていた。まだマージされていないけれど。

github.com

いずれどこかでこのツール自体の紹介をしたいと思っているが、ぶっちゃけわたし自身もまだ全然全容を把握できていない。しかし、わたしはこのツールが Python のパッケージ管理から何かしらの示唆を得られるんじゃないかと期待している。だからしばらくは注視し続けるつもりだし、理解してきたらツールの紹介を書きたいと思っている。

ただなんかわたしのマシン上ではいろいろ頑張らないと動かなくて、原因がよくわかっていない。そのへんもなんとかしないと、ちょっとまだ紹介するためにどんなツールなのかを使うために色々と頑張る必要がある。あと Windows 対応はあんまりできていない様子だ。

どうでもいいけど、Teratail の質問に答えても PR を出しても誰にも何のリアクションももらえなくて、なんか世界から見放されたんじゃないかって気持ちになっていたけど、リアクションが返ってきて世界から見放されたわけではなかったということがわかった。だから今日も僕は安心してなんのリアクションも返ってこなくても、ブログを書くことができる。

仕事かプライベートか

仕事かプライベートか、という二項対立に違和感がある。そもそも、プライベート≒恋愛かまたは結婚生活みたいな前提があるのもよくわからない。

仕事というのは言うほどプライベートの反対、すなわち公的なものなのだろうか。会社員は仕事中所属している会社の人間として生きているから、確かに私人ではないのかもしれないけれど、とはいえそれが公のものなのかというとそうでもないと思う。よっぽど OSS 活動のほうが公的である、私人としてやっていたとしても。

そして仕事の充実が恋愛などの充実の二者択一みたいな価値観もよくわからない。確かに時間は有限で、残念ながらどれほどのお金を得たとしても時間を得ることはない。だから両立とかとてもじゃないけど難しいというなら理解できる。でもどちらかを得るためにはどちらかを捨てないといけないなんてわけでもないんじゃないのかと思う。

でもなんか、自分も仕事が忙しかったり、仕事について悩みが多いときはあらゆる人間関係を放棄しがちで、上に書いたこと自分は全然実践できていないやと思ってしまった。ていうか基本的にいつも人間関係は放棄しがちなんだけど。

そんなこんなで、そもそも僕が恋愛や結婚をするべきなのかどうかについては結局ずっと答えが出ないままだ。いつまでも答えが出ない。なんてやっていたらまた秋になって考える気を失くした。

そんな誰も求めていない人生の進捗を書き連ねる2019年の秋。