このブログではたまに「情報」について語っている。具体的には、自分が知らないことを知りたいときはお金を払って情報を手に入れるべきだ、とか書いたことがあると思う。
「情報」の扱いについてはなんとなく自分が普段から考えていて、意識せずとも実践している。そうすると「どうしてそんなにいろんなことを知っているのか」と職場で何度か聞かれたので、それに間接的ではあるけれど答えてみる(文章化してみる)かと思った次第。
ここで扱う情報は例えば法律や数学などある程度正しい内容が定まっていて、教科書や本が出版されるような内容ではない。どちらかというと出始めだったりあまり多くの人に知られていない(マイナーな)情報のことを指す。
情報は勝手に集まるもの
まず前提として、「情報のほうからやってくる」という状態を作ることが大切だ。情報を集める、という観点で考えない。情報を集める方法を考えるのではなく、情報のほうから勝手に集まってくる環境を作ることを考えよう。
理由は 2 つある。1 つめは情報を集めようとすると結局自分の興味のある領域からしか情報が得られない。知らないことを知ろうとしているのに、ある程度知っていることしか情報網に現れなくなってしまう。たとえば、Python.jp に入って Python のことを深く知ることはできるだろうけど、Julia や R の存在を知ることができるかどうかはわからないだろう。自分が知らないものを知るという観点で言えば、自分が知りえる範囲に存在している情報源はあまり役に立たない。自分が知りえない情報源がぞくぞくとやってくる、毎日、という状態が理想的だ。
そして 2 つめの理由は、続けるためだ。何よりも続けることが大切だ。そして情報を集めようとすると「集め続ける」ことになる。しかし情報が「集まってくる」のであれば、情報を「眺め続ける」ことが自分が身に着けるべき習慣になる。どちらがより楽だろうか? 人間は怠惰である。使うエネルギーは少なければ少ないほど続けやすい。
あとは自分に合った方法で自分の興味の有無にかかわらず情報が目に触れる環境を作ればいい、のでここで記事を終えてもいいのだけど、さすがにわたしが何をしているかくらいは書こうと思う。
普段みているものにノイズを増やす
わたしの場合は普段見るものにあえてノイズを増やしている。Twitterのフォロー数、GitHub のフォロー、はてなブログの購読。自分が毎日見ているものであればなんでもいい。普段使っているアプリの通知や、普段見ている画面の端っこに現れるリコメンドに情報を増やしていく。虚構新聞のプッシュ通知をオンにしているのは昼休みに見出しで一笑いしたいからだ。
こうすることによって毎日見るものの情報量を増やす。情報を得るために新しいことを始めるのは、新しい習慣を身につけないといけないのでわたしには続かない。新しいものを身に着けたければ既存の習慣の延長線上で始めるか、もし既存の習慣が情報につながらないなら何かひとつ習慣をやめるべきだ。人間は新しいことを始めるためには何かをやめる必要がある。
こうしていろいろと目にする機会を増やす。ただし消化はしない。パッと目にして消化ができたものだけ処理すればいいし、興味が持続したらあとでより詳細を調べればいい。目にする情報全てを消化するのは不可能だし、特にツイッターなどで無意味な怒りや無意味な悲しみまでも受け取ることがある。そんなものに人生のリソースを1秒でも割く必要はない。無視するべきだ。我々の人生は見ず知らずの他人の感情をすべて受け止めるためにはあまりに短い。
組織・メディアではなく個人を追う
メディアは当たり前だが何かしらのスクリーニングが入っているし、多くの人の目に触れない情報は必然的にリコメンドされない。わたしは SmartNews のようなアプリをほとんど使ったことがない。結局誰かが読んだ記事がわたしにも回ってくるだけだからだ。わたしはわたし以外が興味を示さないような記事が読みたいのだ。それに、誰かが読んでいるのであればあなたも読む必要はない。読んだ誰かがあなたに教えてくれる。それで十分だ。
一方で個人は(営利関係にない場合)自分の意志でコミュニティ活動をしていたり、宣伝活動をしていたりする。なので個人の発信活動は自分と興味がマッチしていれば有益である可能性が高い。自分の興味は自分以外の誰かの興味と似ていることがよくあるし、その人が新しいことを追い続けるタイプの人であれば自分も便乗できる。
とはいっても世の中広告だらけだ。今や広告を広告と見抜くことは難しいとわたしは思っている。本当に広告ではない情報発信なんてこの世にあるのだろうか。ちなみにこのブログ記事を書いてもわたしには1円も入らないし、このブログの収益源はたまに貼ってある Amazon のアフィリエイトリンク以外存在しない*1。それでもわたしがいくら書いたところでなんの保証にもならない。
見る必要のないものは見ない
一番大事なことはこれだ。見る気にならないならみなくていい。読む気にならないなら読まなくていい。タイトルさえ読むな、覚えるな。時間と記憶容量の無駄だ。
Web記事のタイトルが意味をなくして久しいし、タイトルだけから自分の得たい情報か否かを判断するのは難しい。Twitterでフォロー増やしたら意味わからん人に粘着されたりするし、はてなブックマークで妙に叩かれたりする*2。見なくていい。ミュートなりブロックなり無視を決め込むなりすればいい。
情報を得るために情報を見るなとはどういうことかと思われるかもしれないが、自分が見たいと思えないものから得られる情報なんて存在しない。だったらそもそも読まなくていい。しないことを増やし時間を増やす。
さらにインプットの総量を減らすことで、ひとつひとつの流れていく情報をクリーンな頭で解釈できる。そのためには要らないものを見ないことが一番大切だ。
まとめ
- 情報は勝手にやってくるものである
- 習慣を利用する
- 発信する個人を目につく場所に置く
- 見たくないものを見ない
- 無駄に心を動かさない