文章を書くことは嫌いだった。
面倒くさい。なにを書けばいいかわからない。字は下手だし、間違えるし、すぐに誤字脱字をするし。
そんな風にずっと思っていたけど、パソコンというものをあるいはスマートフォンというものを日常的に使うようになってから、そんな自分はどこへ飛んでいったのか、ただひたすらに何でもかんでも書き続ける毎日になった。毎日頼まれてもいないのにTwitterに何か書いているし、頼まれてもいないのに月に数回は漫然とブログを更新している。仕事でも頼まれてもいないのに今日はなにをした、今日はこんな問い合わせがあったというのをほぼ毎日記録している。
そして冒頭の、書くことが嫌いだった自分のことを思い出してみた。実は「書くことが嫌いだった」のではなく、道具が陳腐で面倒だったということに尽きるような気がする。道具が原稿用紙とえんぴつと消しゴムでは、自分が書きたいと思うものを実現するのにはあまりに面倒だった。ただそれだけの話だったのではないか。
僕は太宰治でも夏目漱石でも芥川龍之介でも志賀直哉でもないので、紙に文字を書くという形では文章を書くことは継続できなかった。もちろん文章の中身も決して文豪のように評価されるものではない。ただ事実として、内容はともかく書き続けることはできている。
もちろん僕が天才だったのならば、道具など些末な問題で、紙と鉛筆に数万文字を書き連ねることもできただろう。結論から言って僕にはその才能はなかったわけだが、パソコンさえあれば自分も、乱雑な記事ではあるが毎月欠かさず書く程度には書き続けられるということだ。
書き始めることが面倒だっただけで、書くこと自体は(潜在的に)好きだったのかもしれない。いやそうでなければ、こんなブログを5年も続けることはできなかっただろう。
何か新しいことを始めるのはそれなりのエネルギーが必要だ。入口の広さ、敷居の低さが重要なんではなかろうか。何かを始めようと思った時に、始めるハードルは低ければ低いほどいい。
自分のウェブサイトを持ちたいと思った時にHTMLとWebサーバーの設定となどを学ぶのはどう考えても回り道が過ぎる。ブログを始めたいと思った時に自分でWordpressをインストールするのなど本末転倒だとさえ思う。はてなブログでもいいし、wordpress.com でもいい。とにかく頑張らないで始めるべきだ。
そして、始めたことを周りの目など気にせず継続するのが重要なんだろう。どうすれば継続できるのか、正直よくわからない。自分はなぜか5年くらい、ほとんど誰からの承認もなく、収入もほとんど得ることはなく、KPIも設定していないのに、ただただ書き続けてきた。
書き続けてなければ今の自分はないんだろうと思うし、たとえば同人誌を書くとかの具体的な行動を実行に移すのも時間がかかっただろう。
ただそれは結果論であり、ひたすらブログを書くと決めたのはなぜだったか、その原動力はどこにあったのか、もはや何も思い出せない。お金を稼ぎたいから始めたわけではないことだけは確かだ。
言ってしまえば、半分以上「惰性」で続けているのかもしれない。目的などとうに失い、習慣だけが残った。ただ習慣化した、という事実は根深くて、今日も日曜日ですることがない、ゲームをやろうかドメイン駆動設計の勉強でもしようかと言いながらこうしてブログを書いている。
もともとは、プログラミングを勉強し続けるために何をしているのかを書こうと思ってこの記事を書き始めた。結論から言うと、特に何もしていなかった。文章を書く習慣と全く同じだった。
自分にとって特別なことは何もしていない、というのは要するにそれが習慣なので特別なことをしているように自分は感じていない、ということだ。毎日何かしら技術記事を読むようにしているがそれもただの習慣。自分がこんなツール欲しいなと思った時に、ただ頭の中で考えるだけでなく作って動かすまでやるようにしているが、それもただの習慣。使っているOSSは単に使うだけじゃなくて、なんの言語で実装されているのかとか調べたり、GitHubのリポジトリにStarをつけREADMEを読むくらいはするとか、そういうのもただの習慣。
ではそれが習慣になるまでに自分が何をしてきたのか、やっぱり全く思い出せない。一朝一夕で身に着けたものでもないし、100%守っているわけではない。今の自分を形作っているのは遠い昔の、ともすれば今よりも意識が高かった自分が作った習慣に引きずられていたり、あるいはその習慣を何年も何年もかけて質を上げたりしてきた。この5年くらい、そうやって得た習慣のおかげでなんとかやってこられたのではないかと思う。
そして同じことを他人にやるべきだと言えるかというと、言えない。僕の習慣はあくまでも僕のものであって、あまりにも特殊なひとつの解にしか思えない。
継続は力なり、とはいうが継続をするための力を考慮できていないのがなんか片手落ちだよな、と思う。