今日はライブに行ってきた。プロの演奏を聞くのは本当にエキサイティングで気分がいい。雨の中行った甲斐があった。
ということでなんかエモい記事が書きたくなったけど書けるかはわからない。とりあえずやってみるが、たぶん失敗すると思う。
プロフェッショナル
お金をもらっている以上、プロでありたいとは常々思っている。プロというのは自分の趣向や興味関心ばかりでなく、あらゆるファクターから合理的な判断をし、顧客に価値を届けることができる人のことだと思っている。何も難しくない、当たり前のことを言っている。逆にいうと、こういう意識が低い人とはあまり一緒に仕事をしたくない。
曲がりなりにもお金をもらっているので、一応わたしはプロのソフトウェアエンジニアだということになる。だからわたしはこれでも真面目に働いている。技術選定をするときは開発メンバーや期間、既存のリソースやノウハウなどから判断するし、見えているリスクは先に潰すように動く。資料を作るときは大枠のストーリーを先に考え、閲覧者にとっては木を見て森を見ず状態にならないよう努める*1。別に特別なことはしていない。ただ真面目に働いているだけだ。
プロとしての仕事
労働は対価(すなわち賃金)を得るために行っていることだが、わたしは単に労働をすることを目的にはしていない。わたしの目的は前述のように(何らかの形で)顧客に価値を届けることだ。それが自分がソフトウェアの開発に携わることで、コードを書くことでなされるかもしれないし、同僚にPythonのTipsを教えることでなされるかもしれないし、あるいはわたしが一切口を出さないことで発生する価値もあるかもしれない。どんな手段であれ、価値につながるのであればわたしは遂行しよう。
逆に、誰かの価値につながらないことを、わたしはやろうとは思わない。それは仕事の目的と全く関係がないことであり、プロのする仕事ではないからだ。自分が満足するための行為なら、自分でやればいい。
プロのアーティストはリスナーに、音楽というメディアを通じて「価値」を届けている。だったら我々ソフトウェア開発者もソフトウェア(およびその周辺技術)を媒介して顧客に価値を届けるのが仕事であり、そのために我々は働いているのだ。その大前提を見失ってはいけない。
プロであり続ける
ベンチャー企業というところで働いているせいか、とにかく「安心して」仕事ができたことなんてほとんどない。自分がやらなければプロジェクトごと破綻する、そんな意識に駆られてずっとやってきた*2。
まだ自分は2年目のひよっこソフトウェアエンジニアなのだが、無駄に意識だけ高くなってしまった。だけど、姿勢を改めるつもりはあっても姿勢を変えるつもりはない。今後もわたしはプロとして仕事をし続けたいし、中途半端な、誰の価値にもつながらないソフトウェアをお金のためだけに納品するような仕事はしたくない。
プロジェクトごと失敗し、結果としてそうなってしまうこともあるかもしれない。きっと誰かのせいにしたくなるときもあるだろう。しかし、プロ意識を持ち続けるために『アジャイルサムライ』の言葉を胸に刻み込んでおく*3。
君が質の高いソフトウェアを届けることは誰にも止められない。君が現場に立って、お客さんに向けてプロジェクトの状況と、プロジェクトに必要なことを誠実に伝えるのを誰にも止められないんだ。
でも勘違いしないでほしい――これは簡単なことじゃない。私たちの業界には何十年もの歴史がある。時の流れと共に積み重なってきた数々の問題が、私たちの行く手を邪魔することだってあるだろう。とはいえ、結局のところ君の働き方や仕事の質を選んでいるのは他の誰でもない、君自身なんだ。そのことだけはしっかりと受け止めてもらいたい。
わたしの働き方、仕事の質はわたしが決めている。誰のせいでもない。プロである以上、自分の仕事の質には可能な限り妥協しないでやっていきたい。目の前でプロの演奏を見ていて、そんなことを感じた。
- 作者: Jonathan Rasmusson,西村直人,角谷信太郎,近藤修平,角掛拓未
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