Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

祝日を嫌がるような人間になってしまった

労働時間を伸ばさない

労働時間が長いと業務効率を考えなくなるので、労働時間をむやみやたらに伸ばさないように心掛けている。時間もリソースの一種(かつ強烈に貴重)だから、時間を労働に浪費しないことは、まわりまわって業務にもプラスの影響をもたらすと信じている。

制約がある中で誰しもが働いているし、あの Bill Gates にだって 1 日は 24 時間しかないのだ1

昔は僕も残業というか働きすぎがちな人間だった。ただ今はそれはやめようと意識している。とにかく働かない。キリが悪くても 8 時間働いたらその日の仕事は終了。休日も絶対に仕事はしない。

なぜか。多くの場合無意味だからだ。

何度か書いているが、自分の頑張りによってプロジェクトの成否が決まるのだなどと考えてはいけない。それは傲慢な態度だ。世界は自分を中心に回っていると言っているのと同じだ。

職業人として大切なことは、まず「自分は無価値である」ということを受け入れることだ。自分が頑張ったってプロジェクトに影響などない。自分が頑張ったか頑張らなかったかに関係なく、既にプロジェクトの成否は決定している。自分が突然退職したところで、死んだところで、今の職場の人は誰も困らない。どんな人間関係でも、コミュニティでも SNS でもそうだっただろう?仕事が例外なわけがない。まずはその事実を受け入れる。

自分が無価値であるとわかったうえで、冷静に自分のプロジェクトの状況を把握する。足りないリソースは何か、過剰な制約はないか、自分はどこに寄与できるのか。冷静に状況を見て、そして自分ができることにコミットしていく。それはきっとプロジェクトの成否には寄与しないけれど、自分が少しは評価されるかもしれない。

まず頑張ろうとする人はこの冷静さがない。情熱を持つことを否定するわけではないが、「自分がやらないと」と思っている時点で冷静さを欠いていることに気付いてほしい。「あなた」がやらなくてはならないことなんてこの世界になにひとつとして存在しない。

あくまで冷静に、淡々と自分に与えられたロールをこなすのが仕事であって、自分の使命を果たすのが仕事ではない。もしも自分の使命を果たしたいのならば会社員なんて生き方を選んでいる時点で間違っている。

脱線したが、結局のところ会社員ひとりが一生懸命働くことになんの価値もないと数年前に気づいた。長時間労働は多少の残業代につながるかもしれないが、その分健康や余暇の時間を奪うだろう。自分にとってもマイナスにしかならない。

働くよりも働かないほうが難しい

で。やっと本題。

働かないのがこの頃難しくなっている。

blog.515hikaru.net

リモートワークになっても働きすぎ防止のために勤怠管理システムには基本嘘をつかずに入力している(普通に打刻を忘れるのでそれで結果として嘘をついている可能性はあるけど)。テクニカルには労務の給与計算のためでもあるんだけど、自身の健康管理のためにも勤怠管理はいいと思う。

だって働きすぎるのは本当に簡単だし、そのうえ快楽なんだよな。タスクは山積みだし、もともと自分でなんでもやりたがる性質の人間だし。

最近はさすがになんでも自分でやりたがる病を卒業しようとは思っているんだけど、気を抜くとすぐなんでも自分でやろうとする。なかなか身についた習慣は変わらないしね。

でさ、月曜日が休みだって今日気づいたの。普通に営業日として数えてスケジュール考えてたので計画が狂ったよ。

もちろん休むんだけどさ。出かけないけど、やりたいことはあるし。でもなんか、久々にこの祝日は休みたくねぇなぁと思ってしまったよ。

あー仕事したいなんて思ったことはないけど、休みたくないと思うような人間になっちまったんだなー。なんかショックだなー。ま、最近の人生、仕事しかないからそんなもんなのかもしれない。