習慣
かつては僕も学生だった。勤勉だったかはともかく、どんな日であっても 1 日に 5 分は机に向かったものだ。それが短すぎると言われるかもしれないが、日曜だろうがお盆だろうが正月だろうがなんだろうが 5 分は机に向かっていたという意味である。その意味では学生時代には休みなんてなかったのだ。
仕事は長い時間を取られているようで休みの日や休憩時間というものが存在する。その時間は仕事のことを考える必要がないし、考えないのもひとつの仕事である。リフレッシュは仕事の大切な要素のひとつだというのはこのブログでも繰り返し形を変えて書き続けている。
比喩ではなく毎日勉強をしていた僕も、休学を境に一秒も机に向かわなくなり、今に至る。今日久しぶりに数学書を開いてみたが、とても簡単そうな問題が全く解けない、面白いほど解けない。笑ってしまった。
毎日やること
習慣づけるために大切なことは、0 の日を作らないことにある。これはなんだってそうで、毎日それこそ 5 分でも勉強するというのは、週に 1 回 10 時間の日を作るよりもよっぽど価値がある。特に語学力などはそうだろう。継続は力なりだ。
思えば学生時代はどこへ行くにも数学書を持ち運んでいた。電車の中で開いてみたり、人に薦めるために持ち歩いていたり、喫茶店で小説を読んだり数学書を読んだりしたっけ。今は財布と携帯くらいしか仕事場に持って行かない。
そして、前日の自分や出来上がったものの質を見てくよくよしないこと。0 を避けた自分をほめ、認めることだ。自己肯定感が低いままでは習慣を作ることは難しい。それに時間を費やす自分を認めることが大切だ。
記録すること
ついでに、自分が行ったことを自分が振り返りやすい形で記録できるとよい。僕は暇つぶしに Haskell の勉強をしていたころ、毎日自分が何を学んだか、そして学んだことの重要なポイントや昨日までわからなかったことと今日わかったことなどを書いていた。これはかなり功を奏したようで、Haskell を書く機会はなかなかないので文法とかは忘れているが、Haskell の入門書で読んだプログラミングの基本はいま業務でも活かされていると思う。
自分の進歩を記録することは、未来の自分を少し喜ばせることにもなる。記録を積極的に取っていくべきだと思う。
さて、僕は……
偉そうなことを言っているが、僕はしばらく勉強をしていない。
僕は自分が自由でありたいと常々思っていて、そのためには学び続けること、思考し続けること、自己表現をし続けることが大切だと思っている。しかし、学び続けることに関してはだんだんと意識が低くなっているこの頃だ。
何を学んでもいいし、ネットワークの勉強でもしようか、それとも無難に数学でも学び直そうかと考えている。今度の平日は、昼飯を食べたあとの 5 分くらい数学を勉強しようか。