自由と権力と愛を歌うDiary over Finite Fieldsへようこそ。
大変なことがあった。だから、back numberのハッピーエンドを聴いている。
そういえば唐田えりかが復帰したらしい。そんなに積極的な関心を寄せてはいないけど、このMVを見るたびに映画「寝ても覚めても」のことを思い出す。
それはさておき。
先日、実家で姉に言われた。「キミ*1は人の嫌がることをできる人だよね」と。
それが特別な性質だと思ったことはないけれど、確かにそうだと思う。僕はあまり人に共感しない。お互いのためにならないのに変に現状を維持しようとしないし、甘い言葉を囁いたりもしない。極端な例を出せば、*2部下をクビにしなければならないと判断したら、僕はクビにするタイプだと思う。
それが僕が思う「優しさ」のひとつだ。結局のところ、優しさはその日その瞬間では決まらない。たとえそのとき僕が恨まれようとも、むしろ永遠に恨まれようと、僕と関わらないことがお互いのためになると僕が思うのであれば、自分や相手の感情に関係なく必要な措置をとるのが優しさだと思っている。
じゃあ自分がクビにされたとしてもお前はクビにした上司を優しい人だねと言えるかと言うと、言えないだろうと思う。だけどきっと、クビにしてくれてありがとうくらいのことを言えるように頑張るほうが僕らしいかなぁと思う。
人に優しくしたいと思っている。
2022年の目標は人に優しくしようだった。優しくできたのか、正直よくわからない。分かったことは、人に優しくすることはとても難しいということだった。
厳しくすることも、甘やかすことも優しくすることに比べれば簡単だと思う。
この辺まで考えて、結局愛し方も愛され方もわからない話に収斂していく。僕はなにをどうすれば、人に優しくしたことになるのかわからないし、何をどうすれば愛していることになるのかやっぱりよくわからない。
毎日こんなことばっか考えている。
仕事の合間に散歩に出て、透き通った青空を見つめ、空風をその身で受けながら、ひとりつぶやくように歌う。
愛し方ってもっと自由なもんだよ
何年経っても色褪せないメロディは、何年経っても何も教えてくれない。