Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

生き様を感じる文書

たまに文書を読んで、恋をすることがある。

......なんつー書き出しだ。自分でもそう思っている。でも変えない。


恋という表現が適切だとは自分でも思っていない。だけど、それ以外に自分の感情に近い日本語が思い浮かばない。かなり強い、激しい感情である。

もちろん、そこまで強い気持ちになることはほとんどない。

例えば、森博嗣に対して同じ気持ちはない。憧れみたいな気持ちはかつてあったかもしれない。僕は森博嗣の著作に多大な影響を受けていると思うし、それが証拠とばかりにこのブログで何度も氏の話している。しかし、これらの人が書いている文章を読んで湧いてくる気持ちは僕がいま話題にしたいそれとは違う。

例えば、ポッドキャスターに対しての感情ともまた違う。ポッドキャスターを人間として愛おしいなと思うことはよくある。しかし、それもまた恋という単語を使うような感情ではない。

なんだろう。読んでいるだけで、この人に幸せになってほしいなとか、この人が幸せな社会を作りたいなとか、この人を幸せにしたいなとか、そんな感じのことを思う。


もう一度言うが、そんな気持ちになることは本当に滅多にない。もしかしてこれが「推し」とかいうやつか?と思ったりもする。

何気なく書いた文章って、きっと書いている本人が思っている以上になんか「人間」が出ていると思うんだ。その人間の部分にたまらなく惹かれて、素晴らしい、そして愛おしいなと思う。いいところも悪いところも素晴らしいところもだめなところも全部ひっくるめて、人間らしさ、人間っぽさを礼賛している。

誰に対してそんなことを思うのかを公言するのも恥ずかしい、そんな気持ちだ。

そんな強い感情を、その人が書いたあらゆる文書、ツイートやエッセイ、書籍に至るまでを読みあさりながら抱くのである。