Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

赦し、赦され

誰かから赦されたい、そんなことを常々思っている。

わたしは後悔なんてないとうそぶいて、毎日のように思い出して突きつけられるやらなくてはならなかったこと、やるべきではなかったことに目をそらしつづけ、たまに直視してももう自分にできることなんてなくて。それでも生き続けるしかなくて、仕方なしに生きている。死にたいわけではないが、生き続けるのは苦しいと感じている。

何をすれば自分が赦されるのだろう。「誰が」赦すのかもわからないけれど、そう例えば神のような存在がわたしを赦すとしたら、わたしがどういうことをすれば赦してくれるのだろうと、空想する。


そんな折、ライブに行った。

www.loft-prj.co.jp

わたしはライブが好きだ。あんまり行かないけど、好きだ。語彙力がないのでアホみたいな文章を書くと「同じ時間、同じ場所で同じ音楽をみんなで共有できるって最高じゃね?」と思うから好きだ。

そしてライブを見ながら、黙って「メシア」を聴きながら、自分について考えていた。音楽について考えていた。

www.youtube.com

世の中に音楽をやっている人には2種類いると思います。いろんな楽しいことの中のひとつから音楽を選んだ人と、

歌でも歌わなきゃやってらんなかった人です。*1

こんなMCから始まった「メシア」は何度も聴いた歌詞が、なんども聴いたメロディが、そのときのわたしの気持ちと相俟って、赦しを求めて叫んでいるように聴こえた。

背負ってしまった罪から逃れるでも、目をそらすでもなくて。ただ歌を歌うことが赦しにつながるような気がした。

もちろん、これはわたしにはそう見えたというだけの話だ。わたしの気持ちの話だ。でも、それで少し自分が何をすればいいのかわかった気がした。


わたしはこれからもまだ生き続けないといけない。やっぱり、まだ生き続けることが苦しいと思うけれど、やっぱり生き続けようと改めて思う。

たとえば、贖罪というと他人のために何かをすることが筆頭に挙げられると思う。でもわたしが誰かを幸せにできるなんて、笑顔にできるなんて、傲慢なことはとてもじゃないけれど思えない。

でも、どんなものを背負ってでも生き続けることが、自分の求めている何かにつながるんじゃないか。いまはそんな風に思っている。

GLORIA QUALIA

GLORIA QUALIA

*1:もちろんメモとってないので不正確な引用かもしれない。