Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

見せしめ

さて、なにから書こうか。

毎日何かしらの文章を書いているはずなのに、このところ言葉にできないことばかりだった。平凡で、少しエキサイティングで、優しく、厳しい毎日だった。

何を書けばいいだろう、楽しかったこと、ショックだったこと、怒りを覚えたこと、涙を流したこと、嬉しかったこと。

何を書いても嘘になるような気がして、何も書けないままテキストエディタに向かって30分くらいボーッとしていた。

やっとぼんやりといま書けることがわかってきて、昨日の夜考えていたことを書くことにした。

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昨晩のことだ。月を見ていた。

ひとつ手前の駅で降りて1人で夕食をとり、帰りは自宅まで徒歩。隅田川にかかる橋を歩いているときに、その風の冷たさで京都にあった名前も覚えていない橋のことを思い出す。東京に来てから1年、いつのまにか空が狭い殺伐としたこの街に当然のように存在している。

あらためて不思議な感じだ。

冷たい風を浴びながら見る月は、いつもより青く冷たく見えて、昼間職場の近くのカフェで聞いた話を思い出した。

その話がどんな話かは重要ではない。ここに書いたところで誰も救われない。もちろんわたしも、わたしの中のいくばくも。

ただ感じたのは自分たちの変わらなさだ。

自分たちを喧伝するために人は変化を強調する。もちろんその変化は成長だ。数字で見える形で我々は成長を顕示し、これからも成長し続けると内外問わず発信していく。

ただ、変わっていない部分もある。その話はわたしに2年前のことを思い起こさせた -- 「ああ、時を経てまた同じことが起きたんだ」 -- それに気づいた時に、心底ショックだった。

わたしたちは成長してきた。わたしの成長はわたしたちの成長と連動もしていた。だが、わたしたちはこの問題に対しては全く成長できていなかったのだ。そしてわたしは、もう一度2年前と同じように、言葉にならない気持ちをただ飲み込んだ。

誰が悪いわけでもない、たしかにそうだ。そう思う。彼らの行動もわからぬではない。

だけど、一歩道を踏み外せば、わたしも彼のようになっていた。それを2年前に見せつけられたわたしは彼らを信用できなくなった。それでも2年間なんとかやってきた。わたしは彼のようにはならなかった、のかもしれない。

橋はとっくの間に渡り終えていて、もう一度月を見上げた。橋の上で見たよりも明るかった。その明るさは、信用してもいい明るさなのかな。

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書き終えたあとで、もっと明るい、例えばライブに行った話とか映画を見た話とかもできたと思う。だけど書く気にならなかったんだ。わたしは今週、天国にも地獄にも1泊2日の旅行をしてきた。

残念ながら、天国よりも地獄のほうが書けることは多いんだよな。

天国の話は、Amazonへのリンクを貼るくらいにしておく。

邂逅ノ午前零時 (特典なし)

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