Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

終戦の日に、散文

8月15日なので、少し真面目なことを言おうと思います。

でも人によってはふざけてると取るかもしれません。


昨日、TBS系列の日曜朝のニュース番組、『サンデーモーニング』の中で、特集『風を読む』で、こんなことを特集されていました:大橋巨泉さんなど80代の方々が亡くなられ、かつて戦争を経験した世代が減っています。戦争の悲しみ、もう二度と戦争をしてはならないという想いが弱くなってしまうのではないか、という懸念があります。我々は戦争の悲惨さを後世に伝えていくためにも、残り少ない戦争を体験した世代の言葉に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか、と。まぁだいたいこんな感じの内容でした。

うーん、率直に言いますとこの特集ツッコミどころだらけなんですけど、でもその批判はしません。僕はこの特集を見ていて、そしてコメンテーターの人たちを見ていて、

「この人たち、ノスタルジーに浸ってるんじゃないかな?」

って思ったのです。これから起こりうる戦争と71年前の戦争とは実態も違えば、社会情勢も違います。*1でもテレビの中の彼らはずーっと、昔の話をしてるんです。まるで戦争が起きるということは昔の戦争が復活することであるから、昔の戦争の悲惨さを伝えればこれからも戦争が起きないと信じてるみたいでした。

この着想を得た私が少し考えてたどり着いたのは、私たちの戦争に対する情報がアップデートされていないんじゃないか、という結論です。

映画なんかでもよく第二次世界大戦は描かれます。でも描かれた戦争っていうのは実は71年前の戦争で、今とは戦車やら戦闘機やらの性能はおそらく比べ物にならないでしょう。私はいわゆるミリオタではないので詳しくないですが。実は私達が聞かされている「戦争」は現在世界で起きているものと実態は著しく異なる可能性があります。*2

事実として、戦争は起きています。割りと新しいものだけでも、25年前には湾岸戦争が。10年ほど前にイラク戦争もありました。イスラム過激派組織ISに空爆が実行されるなど、世界のどこかでは戦っている人がいます。



確かに第二次世界大戦の終結を機に世界は帝国主義をやめたことになってますし、あらゆることが当時の戦勝国が主体になって決まりました。国連は日本語を公用語に採用してないのも日本が枢軸国側だった名残です。だから確かに、世界的に見ても太平洋戦争終結後が戦後なのかもしれません。

でも私たちがいつまでも71年前の戦争のノスタルジーに浸っていては、それこそ本当に「平和ボケ」じゃないんですか?

私達が現在の戦争を知らないのはもちろん私たちが恵まれている証拠でもあります。日本が戦場になるなどの事態を現在まででは避けられているからです。だから日本人にとって戦後は太平洋戦争終結に等しいのです。

でもだからといって、遠い何処かの国のことなぞ知らず、知ろうともせず毎年8月15日に近づいてくると"先の戦争"のノスタルジーに浸って、悲惨なことだから繰り返してはいけないと毎年、毎年同じことを繰り返す。伝えていくために重要なことですが、でも見ようによってはそのほうが「平和ボケ」、あるいは「思考停止」じゃないですか? 本当に自分が戦争に巻き込まれる可能性を、その時自分がどうするべきなのかを本気で考えてますか?

あなたが戦争に参加しないで済んでいるのは、あなた以外の誰かが戦争に参加しないように仕事をしてくれているからです。憲法のおかげだけではありません*3、人が仕事をしてくれているからです。逆に言えば、誰かが仕事をサボったり、システムが機能しなくなれば、戦争は起きます。

私も戦争なぞ経験しないままに一生を終えたいですが、いつ日本にゴジラが襲ってくるかもわからないので、71年前に限らず戦争についてきちんと学ぼうと思います。

さて、今日は太平洋戦争の終戦の日です。最後になりましたが、第三次世界大戦が永遠に起こらないことを切に願っています。

*1:世界はいま帝国主義でさえないのですよ。

*2:空爆などの際にも、少なくとも民間人が巻き込まれないように注意を払わないとむしろ国際社会から批判をされるような時代です。

*3:憲法の寄与が全くないとも言いません。