Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

実家で本を片付けたときに思ったこと

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

と書き出せばだいたい何か書くことはあるのがいつものことなんだけど、今年は何も書くことがない。年末年始も確かにいつものような年末年始ではあった気がするが、なんか感覚としては年を越した気がしていない。

2022年のインパクトが大きすぎたせいかもしれない。

今年の年末年始は実家に帰った。実家では普段、テレビを見るかコーヒーを飲みながらおやつを食べるか鍋をつつくかしかしていない。この年末年始もそうかと思いきや、実家の自室の整理をする羽目になって結構仕事をした気になった。大量にある本、CD、DVD、ゲームなどなどを処分した。こんなに買うなんてどこにそんな金があったんだと思う。自分でもよくわからない。

ちなみにこのブログを始めたときは実は実家にいたし、僕はまだ大学生だった。気がつけば、僕ももう会社員生活を6年も終え、7年目に突入している。会社員歴より、このブログ歴の方が長い。


今年の抱負はなにかを考えている。考えても何も出てこない。

別にやりたいことなんてない。うーん、いや強いて言うなら今年30歳になるし、そろそろ結婚をしたい気はする。しかし別に今年中という感じでもない。そもそも結婚できるかは知らんけど。

技術者としても、正直こうなりたいみたいな欲求がない。ただもう少し技術記事を書きたい気持ちだけは常にあるというか、Zennで本を書くみたいな挑戦をしたいなとか漠然と思っている。

どうも、ずっと僕は小さいものをこちゃこちゃと書いてそれを大きな作品にすることをしていない。このブログも、たぶん体系的に整理すればエッセイ集とかにできる気がするんだけど、そういう自分自身に対する編集力が圧倒的に欠けている。そして自分でそれをできる気もしない。

どうすればいいのやら。とまぁこんな感じで、良いとか悪いとか考えず、ダラダラとブログの更新自体は続けていくと思う。もはやこれは呪いのようなものではないかと思って、たまに更新しようと思う。

そう、やっぱり2023年も何かを作り続けたいなとは思う。昔、中田ヤスタカがテレビに出てて、ライブで音楽聞いていると曲を作りたくなってくるから帰るとか言ってた。当時は何言ってんだこいつって思ったけど、今は少しその気持ちがわかる。何かいいものとかを消費すると、創作意欲が刺激されて作りたくなってくる感覚が僕にもある。

一応書くけどクオリティは度外視して言っている。だいたい、中田ヤスタカが作品を創りたくなってくる感覚と、僕が「あ〜そろそろブログ記事の一本くらい書くか」と考えることを同一視している時点で超乱暴な自覚はある。超乱暴だが、根っこはそこまで違わないと思う(重ねて言うけど質は全く違う)。

発信はしたほうがいいよ、発信すると周りからリアクションがあってそのリアクションから自分がまた成長できて正のフィードバックループができるよ、とか言うのをよく見る。アホくさと個人的には思うけれどあながち間違いでもない。でも自分が作ることと、他人がどう思うかはたぶんセットで考えないほうがいいと思っている。自分が作るのも「たまたま」だし、それが誰かに届くのも「たまたま」。そこで何か起きるのも「たまたま」。偶然の奇跡みたいなものを願って作るより、ただ作る方がいいと思う。作るのがいやになればやめればいい。いやだと思わない限り続ければいい。


これに関連して、実家で大掃除をしていて思ったのは、こんだけ大量のインプットをしたからこそ毎日ブログを書けるのかもなと思う。

実家にある文庫本だけでたぶん100〜200冊はあった(数えてない)。いまの東京の自室にも、専門書、技術書、雑誌などを含めて相当数の本がある。買っているだけで読んでないものも結構な割合であるけれど。

一ヶ月か二ヶ月かそれくらい、毎日1本以上映画を見ていた時期がある。その頃に見た映画があるからこそ、僕は映画の感想を(一応)書けるわけだ*1。そもそも映画の鑑賞経験が浅い人には、映画について話すことは難しいと思う。

つまり、大学時代のインプットがたくさんあったからこそ、いまの僕に素地ができてアウトプットができるようになっているのではという気がする。そもそも、そのためにあるもののひとつに義務教育というものがあって、漢字ドリルや四則演算は会社員になってからアウトプットをするための基礎中の基礎になっている。

そのインプットの質や量はどうすればいいとか判断することはできないけれど、とにかく大量に何かを読むなり聴くなり見るなりし続けなければ、相応のアウトプットを気軽にはできるようにはならないのでは。そして自分はそのために、コスパが良かったかどうかはおいておいて相当量の投資をしたな、とは思う。

ちなみに必ずしも本や映画じゃなくてもいいと思う。恋愛でも、旅行でも。何かしらのインプットにはなっているだろうし、そうして人間は形作られていくのだ。


実家で本を片付けて思ったことを書いた。

しかし、本当に書くことがない。この話もいま捻り出した。不思議なもので、このブログに書くときはなんか知らないけど指が勝手に動くのでどうでもいい話はいくらでも書ける(なぜかSubstackとかTwitterだとこうはいかない。書くこと決めないと書き始められない)。

だから2023年の本音は「書くことがない」なんだけど、書くことがないだけじゃ記事にならないのでこうなった。

改めてになりますが、今年もよろしくお願いします。いい一年にしましょう。

*1:ちなみに書けることと、書いてお金を稼げることにもまた大きな壁が立ちはだかっている。僕に映画の感想を書く仕事が来ることはたぶんない。