Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

記事が書けない。情報が書けない。悩みもない。

最近、悩みがない。

悩みがないわけでもないのだけれど、自分の中で整理がついていることがほとんどだ。整理がついていないことはほとんどない。何かしらの行動を起こしている。

というわけで、ブログに書くこともない。

直近、会社の評価があって良い評価をいただいた。もっと上を目指せるという意味でのフィードバックはあったが、なにかが足りないというフィードバックはなかった。大変ありがたい。

自分もいまの仕事をしていることに迷いがない。この社会にとって意味のある仕事ができていると思う。例えば自分が目指しているのは、この社会から労働の総量を減らすことだ。微力ながら減らせていると思う。

そんな状態で、仕事の各論で悩むことはあれど大局で悩むことはない。大きくは自分の目指している方向に進んでいるので、このままこの仕事を続けるつもりだ。

その状態で、なにか悩むわけもない。別にマネージャーをやっているわけでもないし。

家族関係とかも、特に大きな課題感はない。健康面も表面的にはなにもない。金銭的な悩みもない。

ってなわけで。いわゆる順風満帆なのだが。その一方で書くことがない。


思えば、ブログなり記事なりを書いていたのは悩みがあったからだと思う。その悩みを考えるために色々な記事を書いていた。

またすさまじく遅筆だが、たまに趣味の小説を書いている。それは書けるのは、小説で表現している領域は悩みが関係しているからだと思う。

ブログ記事にせよニュースレターにせよ、僕は自分が整理したことを書くことにあんまり興味がない。そのほうが読まれることもわかっている。もし文筆で生計を立てようとするなら、あるいは稼ぎの足しにしようとするなら、その方法一択である。

しかし、僕は記事の中に自分が出てこない文書が作れない。情報を書いていても僕が何も面白くない。面白くないことはできないというのもある。

自分の中の強いモチベーションと紐づいていればそれも書けるかもしれない。だが生成AIの時代になって自分も調べ物をAIに任せるようになった状況では、ネットの情報を読もうという読者側のインセンティブも生じない。そんな状況下で自分が書くということにまったく関心が持てないでいる。

実際、僕は読書量が増えた。本 = AIの生成したもの > 人がネットに書いたもの という序列に自分のなかでなっている。3月は1冊も読まなかったのに、4月は3冊読んだ。

自分は情報を得たいと思っているが、情報を表現しようとは全く思わない。整理したいこともないし、この世に訴えたいこともない。

いや、正確にいうと訴えたいことが片手間で創作するには不十分な題材ばかりなのだ。


悩みはないが自分の中で問いはあって。それに答えるために哲学(というかニーチェの思想)を勉強し始めたりしている。

しかし、じゃあ僕がブログやニュースレターで勉強したことを書くかというと、多分書かない。それはYouTubeでも検索してみてくれればよろしい。僕なんかが仕事の片手間で書いた記事よりずっと面白い動画や、手っ取り早くしれるゆっくり解説とかが既にあると思う。

例えば以下の動画は僕がニーチェの思想を勉強しようと思う前にみたが、自分の問いに対してニーチェを勉強するのが良さそうだと思うきっかけになった。

www.youtube.com

自分がなぜニーチェを勉強しているのかというと、西洋近代の終わりが進行する社会の中で、わたしたちはどう生きるべきか?という問いを考えているからだ。

ここではなぜその問いにニーチェだと思ったかを詳細には書かない(面倒だから)。それより、ニーチェはとりあえず1発目に読むべきだろうと思ったのであって、ニーチェ以外にも学ばないとこの問いに対して何も答えたことにはならないと思っている。

じゃあその作品はいつできあがるのか。出来上がらない可能性が高い。

もしかすると仕事に生かすかもしれない。もしかすると、キャリアチェンジの意思決定に使うかもしれない。この問いとこの問いに対して答えを探すための学びは、自分の人生になんらかの影響を及ぼすだろう。

でも創作にはつながらない可能性が高い。書くには情報が必要すぎて。そして僕が情報をまとめることに興味がなさすぎて。


どうやらこの記事としては、自分がやりたいと思えることで、自分がやったら意味を感じられるようなことで、かつ自分の現在の可処分時間でできるようなことはないという、身も蓋も無い話になるようだ。

あまりに身も蓋も無いが実際そうだろう。特に3つめが大事で。自分がやりたいと思えることも、自分がやったら意味があると感じられる題材もある。しかし、現在の可処分時間ではそれらを題材にした作品を書くことができないし、やる気もないということだ。

ここまでくると、ただの優先順位の話になる。僕は仕事をしていて仕事は人生の大部分を占めている。デフォルトで。そして、明らかに妻に比べて時間は短いが家事もやっている。家族との時間も大切にしている。

それらの時間を削ったり調整したり、あるいはこれら以外の可処分時間を全部創作に注ぎ込めば、自分のやりたいことができる気がする。じゃあ実際にやるか?と問われると、その質問にはNoと答えている。ただそれだけなのだろう。ここでYesと言えるような人がたぶんクリエイターになれる。

自分は自認としても実態としても別にクリエイターではない。表舞台に立ちたいとも思っていない。

と、こんなノリで2,400字くらいの記事ができてしまったが。実際この記事も別に存在しないといけない必然性がない。エネルギーの余剰がそのまま文章になっただけだ。