Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

イライラする仕事

なんだか最近仕事しながらイライラしている。

仕事にイライラしているのは仕事それ自体とか会社や組織に不満があるからではない。最近流行りのAIのせいである。

AIを開発に本格導入した結果、コーディングをAIで劇的に効率化できるようになった。しかし劇的に効率化できているのは、ある程度開発の素養があるエンジニアだったり、あるいは一部のタスクだけだったりする。

ということで、開発にそこまで精通していない人でも簡単な開発に関われるようにしようだとか。ガードレール敷かないと難しいタスクもこなせるようにしようとか。いろいろやっている。

いろいろやっているのだが、これが21世紀を四半世紀も過ぎた社会の開発現場の最先端でやるべきことなのかと素朴に思う。

まず、今までに比べれば人間がやっていることなどほとんどない。お題を軽ーく言語化して。どうすれば実現できるか聞く。そうするとなんかぽんぽんアイデアが出てくるので、そのうちのひとつを採用してそれを実際にやる。

具体的には。なんか作りたいスキルがあったらこういうスキルを作ってとAIに頼む。なんか作りたいルールがあったらこういうルール作ってと頼む。自分は手を動かさない。その間をAIの待ち時間として来たSlackのメンションを返したりしている。

何をするにもAIがやる。僕はその成果物を読んだり、見たり、実際に動かしたりしてレビューをひたすらしている。人間は読まないがAIが読むためのドキュメントをたくさん生成している。AIの仕事のための仕事をしている。

こういう状況にイライラしている。別に価値がないわけではない。価値に納得していないわけでもない。しかしイラついてはいる。


同僚の中にはAIの成果物をAIにレビューさせている人もいる。僕も試してみると、確かにセルフレビューはある程度は機能する。人間が一回成果物作りきった後で見直すのと同じなのだろう。

しかし、その同僚が悪いわけではないのだが、その仕事はなんなのかよくわからなくなってくる。セルフレビューをやり、それでレビューができているということであればそれこそ本当に操作者なんて誰でもいいわけで。全部にultrathinkとつけたって十分payする計算資源の消費になればそいつのプロンプトはほとんどいらない。少なくとも競合優位性はない。

また、AIがAI自身へのガードレールを敷くことができるのも知っている。ruleの設定などは人間が書かず、むしろAIに書かせている。

しかし、AIが読むドキュメントをAIが書いているこの構図の気持ち悪さがある。自然言語で書かれているが、そこに紡がれている言語化されたノウハウは、人間のノウハウとは乖離しうる。そしてなにより、AIにとって有効かどうかはぶっちゃけ人間にはよくわからない。俺は雰囲気でAIにルールを教えている。

なぜAI疲れなるものが起きるのかといえば人間が判断をくだすからだ。すさまじいスピードで繰り出される実装を、人間の脳で処理して改善点を出してということを繰り返すのは非常に疲れた。

でも疲れているうちは、別にイライラは感じていなかった。

むしろ僕が虚無を感じてイライラするのは、こうした疲れではない。AIの成果物をAIがレビューするマッチポンプ感。AIがうまく動くための環境整備感。

この仕事はなんだろうか。この虚無な仕事はなんなんだろうと素朴に思う。これこそAIが勝手にやればいいのにとさえ思う。いや、実際にできるのだ。勝手にやるようにスキルを書けばいい。

このメタ構造になっている仕事に違和感があり続けている。ずっと狐に化かされているような気分で仕事をしている。